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PPJから見ると [リハビリ]

 

 
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私が住んでいるところの近くには「ヒトツバタゴ」(別名/ナンジャモンジャ)という天然記念物が今咲いています。日本、朝鮮半島、中国にあり、日本では愛知県、岐阜県、対馬のみだそうです。近くの公園は対馬から贈られたと記されています。

 

パーフェクト・ポンコツ・ジイサン。

これをPPJと呼ぶそうです。辺見庸氏が『

しのびよる破局―生体の悲鳴が聞こえるか

しのびよる破局―生体の悲鳴が聞こえるか

  • 作者: 辺見 庸
  • 出版社/メーカー: 大月書店
  • 発売日: 2009/04
  • メディア: 単行本

』で述べています。

「ぼくは長く生きすぎたし、本当にあっという間の出来事だったともおもう。いま、毎晩のように、もうそろそろ終わろうかなあと何度もおもうけれども、生の慣性の法則のようなものをなかなか断ちきることができなくて、1日にただ一日を足していくように過ごしている。それが、本当に不思議だとおもっている。二○ 四年の三月に脳出血で倒れて、その後遺症でスムーズに歩くことができない。つづけて二○ メートル以上歩くのは、かなりしんどくなっている。それと、その翌年にはがんになった。翌々 年には別のがんにもなった。PPJ だね」と。発病は私が1月遅れですが同年齢です。間違いなくPPJの一人なのです。決して宣伝する必要もありませんが。

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「でもね、意識としての人間が、他からどのような存在理由、存在証明もあたえられずに、どのような人生の目的もなしに〈 世界にただひとり遺棄されている〉 という実存主義的感覚は、PPJ になってみてはじめて実感しえたね」としていますが、近い感覚はありますが。「もっといえば、〈 他者の目で見た自分を終生演じつづける〉 といった、ボードレールだけではなく、だれしもよくある心的呪縛からやっと解かれた気もする。」となるとあまり理解できません。雰囲気的には感じますが。

PPJにも日常があります。昨日病院で血圧が高いですねと言われれば少し気にはなるが、高くて困ることは別にないと思ったりします。ただ、再発して介護の負担を妻にかけるのだけは避けたいと思うだけですが。

 
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