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裁縫箱 [生活]

 

 

「ことばの風景」を楽しく読みました。最終回は裁縫箱でした。母も、妻も、和裁の内職をしていましたので裁縫箱は欠かせません。母は、蚊帳づくりをしていましたのでミシンも同じ光景の中にありました。

 

「ことばの風景 樋口伸子 【さいほうばこ】裁縫箱

古い裁縫箱が出てきた。元は菓子の入った缶箱だが、老兵の貫禄で変色したり変形したり、開ければ ごちゃごちゃ玉手箱。布地に印を付けるチャコや 縫い針、指ぬき、トップが歯車状のルレットなど小物があれこれ。 戦後の街にできた教習所の一つが洋裁学校で近所にもあった。道具類は当時わが家から通った従姉や姉たちの忘れ物か。子どもにはいい遊び道具で指ぬきは人形ごっこの王冠に、 色とりどりの飾り飾り付き待ち針。(略)

くらしの根幹を家庭の衣食住に置いた時代の理想がしのばれる。やがて家庭から生活、くらしへとメディアの情報や用語にも時代の変遷をたどることができる。(略)

10年に少し残して、便利な慣用語に倣えば一身上の都合で降板を願い出ました。(以下略)

(詩人、福岡市)=おわり」(2018918日西日本新聞)

 

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50歳で [生活]

 

 

「ニュース川柳

・婿殿が向こうの岸でお出迎え

・日と雨の狂騒曲のいつ果てる

・米中摩擦世界中へと降る火の粉

・佐賀空港百億円に目がくらみ  」(2018829日西日本新聞)

 

8月も終わりましたが台風だけは暦通りにやってきます。50歳で先か見えてくるというのは実感があります。20年以上も前ですが、このまま定年まで働き、数年は何かで働いて年金生活になるのではないかと想定しました。しかし、人となじむのに時間がかかる性格なので器用に生きられるだろうかと。そんなことを考えていましたが、結局は55歳で転職しました。

 

「コラム 気流

25年ぶりに顔を出した高校の同窓会で考えさせられたのがこの先の生き方。「父親が亡くなったのなら、次は自分の番だって思うでしょ」。いつ何が起こるか分からないんだから、同級生の一人から鋭い問い掛けをもらった。健康な生活をいつまで続けられるか、誰にも分からない▽50歳を超えると、会社員としてのゴールが何となく見えてくる。週刊経済誌の表紙に「定年後」や「老後資金」とあると、目に留まるようになった。子どもが大学に進学したり、社会に出たりすれば、子育ての責任もかなり軽くなる。▽70歳過ぎまで元気だとしても、あと20年。先の同級生は、夫婦で訪ねたい場所を40カ所リストアップしているが「全部行けるか分からない」。限られた時間を何に使うか。何がしたいのか。とりあえずを重ね、先送りしてきた問いに向き合わねば。」(同前)

 

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「奈々子に」 [生活]

 

 

コラムで「奈々子に」を読もうとは・・・。多くの人に親しまれた吉野弘さんの詩です。

 

「コラム  春秋

 日暮れ時になると決まって1~2時間、連絡が取れなくなる記者が部下にいた。Y君と呼ぶ。普段はたちどころに電話に出て、つたない質問にも手際よく答えてくれるのが、なぜ?

▼数カ月後に理由が分かった。取材相手と一対一で接触し「特ダネ」を取るため、彼らが帰宅する時間帯を探っていたのだ。見上げた心掛けだが、取材にのめり込むY君に何度か声を掛けた。「頑張り過ぎるな。原稿より健康」と

▼そんなY君が、過労で亡くなったNHKの佐戸未和記者=当時(31)=と、ある県警本部の記者室で、机を並べていたと最近知った。Y君は言う。「佐戸さんは笑顔で取材相手の懐に飛び込む、手ごわいライバルでした」。月159時間の残業の末、命を落とした。ご両親は「娘はかけがえのない宝だった。この苦しみを背負う人が二度と現れないことを切に願う」と語った

▼6月に働き方改革関連法が成立し、7月の閣議で過労死防止対策大綱が改定された。佐戸さんのご両親の悲しみを無にしないため、頑張り屋のY君と、Y君に似た大勢の人々に、吉野弘さんの「奈々子に」を贈る。誕生した長女に宛てた詩である

〈ひとが/ほかからの期待に応えようとして/どんなに/自分を駄目にしてしまうか〉〈お父さんが/お前にあげたいものは/健康と/自分を愛する心だ〉

▼全ての人よ、たまには自分を甘やかそう。かくいう筆者は実践済みだが。

2018/08/12付 西日本新聞朝刊=」

  

 

 多くの親が「健康」と「自分を愛する心」を子どもに願う。たが、子どもは目先の仕事にからめとられて感じ取れないことがあります。自分も親となり、齢を重ねないと実感できないですね。そこの隙間に入り込む過労です。ふと、立ち止まってみては・・・。

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「歴史」を守る人たち [生活]

 

 

テレビの「ポツンと一軒家」は山奥や離島などで暮らす人たちを訪ねる番組です。1日の放送では、約1300年前に高句麗(高麗)から日本に「亡命」してきた人の生活を守っている人、 承平天慶の乱として平将門と同時期に瀬戸内海で戦った藤原純友の神社を守るために島を離れないという人、老いた母親を支える3人の息子たちは、母の意思を大事にしている。また、週1回の買い物に行くためにコミュニティバスの停留所をつくる地域の人たちの支え。それぞれが人生を確かに刻んでいることに感銘を受けます。凛としているのです。生きることの覚悟と言うべきかすばらしい人生が描かれています。人との交わりは少ないが、自然と向き合っている強さを感じました。生きるということが示されています。

 

時間の長さを感じたものに、こんな投書も。

 

「(声)1万年の時超え共感する親心  55歳 201872日朝日新聞

 東京国立博物館で始まる特別展「縄文――1万年の美の鼓動」の紹介記事(6月23日)を見て、十数年前を思い出した。

 この博物館の平成館で古代の土器を見て回り、ある土器に釘付けとなった。小さな足形が一つ押されただけ。古代の物とは思えなかった。なぜなら、我が家にも同様の物があるのだ。

 かつて陶芸部の顧問をしていた私は、我が子が生まれた喜びにその足形を陶板に焼いた。どうやって作ったか忘れたが、平成館の土器を前に想像した。

 作陶者はこの子の親か。じっとしていない幼子の足形をきれいに取るには、自ら優しく抱いたに違いない。後ろから左手で抱え、右手で子どもの右足をつかんで陶土に押しつけた――だから右足の足形なのだ。

 帰りの新幹線で、我が家の足形が右足か左足か気になって仕方が無かった。 帰宅後、真っ先に確認すると果たして右足だった。1万年の時を超えて、縄文時代の右利きの陶工と共感できたような気がした。」

 

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「笑点」の夕方 [生活]

 

 

「笑点」の思い出が投稿されていました。

 

「 父が見ていた笑点       むつき    2018624日読売新聞

  私が子供の頃、日曜の夕方になると、父は笑点を見ながら晩酌をしました。この時間帯が唯一、父のくつろぎタイムでした。瓶のラベルを覚えています。かなり安いウイスキーです。

それを水のように薄めて、ちびちび飲んでいました。 おつまみは柿の種かイカさきです。 私を含め小さな子供が5人、周りをうろうろしていたので「こぼすな、こぼすな」が父の口癖でした。 笑点が終わると、父はよくラーメンを作りました。 ネギを切って焼きのりを一枚乗せて出来上がり。子供が順番に「ひとくち、ちょうだい」と父の膝に乗ります。         そんな光景が心に残っています。(以下略)」

 

サラリーマン時代は「笑点」が終われば「明日から仕事だ」と少しへこむ瞬間がありました。退職後はへこむこともなく楽しんでいます。やはり「大喜利」が楽しみです。たくさん人が笑いに癒されているのかもしれません。

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「淋しさ」と孤独は [生活]

 

 

このようなコラムがありました。

 

「オピニオン  デスク日記

  「孤独」を辞書で引くと「仲間や身寄りがなく、独りぼっちのこと」とある。文面だけで寂しい気持ちになる。九州豪雨の被災地では今も家を再建できず、仮設住宅でこうした状態にある人がいる。

 ある70代女性は家が流され、自治体が民間住宅を借り上げた「みなし仮設」に1人で住む。自宅を離れたため仮設の近くには知人がいない。誰とも話さない日もある。「認知症になりそうでねえ」。力ない笑みに胸が痛くなった。

 被災者が仮設住宅で孤立する問題は災害のたびに指摘されてきた。熊本地震では、みなし仮設での孤独死が17人に上る。訪問活動からすり抜けてしまう人たちもいる。

 九州豪雨でも、被害に遭った人は先の暮らしを描けず不安を募らせている。元々住んでいた地域の仲間でも、仮住まいの周辺の人でも、自治体や支援団体でもいい。家を失ったうえ、独りぼっちになった人を多くの目で見守りたい。(河野賢治)=2018/06/18付 西日本新聞」

 

辞書によれば「孤独」と「孤立」「淋しさ」の混乱があるように思います。「孤独死」と呼ばれる「孤立死」の呼び方も確立していません。用語の問題としてきっちりとした整理が必要な気がします。下重暁子氏は『極上の孤独』のなかで「淋しさ」と孤独は別物だとしています。そして「話し相手がいないから淋しくて、孤独。そんな安直なものではないはずである」とし、「死や孤独をムードや一時の感傷で捉えいいないだろうか」という。辞書の定義も見直す時期ではないか。

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「ここだよー」 [生活]

 

 

「(ひととき)私はここにいるよ 2018316日朝日新聞

 今まで意識しないと見上げることのなかった空。昨秋から、たびたび空を見上げるようになった。人目がなければ、両手を振りながら「ここだよー、ここにいるよー」と叫ぶ。

 きっかけは、昨年11月の市民野外劇に参加したことだ。谷川俊太郎の「二十億光年の孤独」をもとにしたオリジナル作品で、私のせりふが「ここだよー、ここにいるよー」だった。詩の理解も不十分のまま、稽古ではとりあえず空を見上げて手を振り、叫んだ。

 ある日の仕事帰り、下り坂のカーブで今にも消え入りそうな虹が見えた。思わず手を振り「ここだよー……」と叫んでいた。

 あっ、こんな感じか。そちらからは見えないかもしれないけれど、私は確かにここにいるよー。何者かは分からないけれど、何かの存在を強く感じた。

 手を振るという行為は「相手とつながりたい」という意味もあると聞いた。(以下略) (愛知県豊田市 パート保育士 66歳)」

 

谷川俊太郎さんへのインタビューをまとめた『詩人なんて呼ばれて』を読んだばかりです。「ここだよ」と叫ぶのもいいかも。自分を肯定的に見れるようで。

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知らない関係 [生活]

知らない関係

 

「情の通じ合った近しい人であればあるだけ、その故人に対し、あの時あの一瞬こうしてやっておけばよかったという、小さな慚愧の念がいつまでも残ってしまうのが常ではないでしょう/藤原新也」(『若き日に薔薇を摘め』)

 

「母の日テスト」が話題になっているという。「子ども自身が思っている以上に母親のことを知らない様子を浮き彫りにした内容だ」と報道されています。

下重暁子氏ならば「当たり前」ということのようです。

 

「私は『家族という病』という本の中で、お互いをもっとも知らないのが家族であり、知っていると錯覚しているだけと書いたが、家族幻想が大きければ大きいほど、ちょっ としたすれ違いで落胆も大きく、それが憎しみに変わる。殺人事件でもっとも多いのが 家族問であることを見ても明らかだ。 子供は守って育てる時期が過ぎたら、離れてゆくのが当然。親を乗り越えず成長し、親は二人に戻り、のちに一人になる。それを必要以上に、不幸だとか淋しいとか感じてはいけない。」(『極上の孤独』)

 

言われればそうですが・・。

 

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出版文化の次に [生活]

 

 

電車の中から新聞を読む人がほとんどなくなり、本を読む人も稀です。次の世代はスマホで文化が継承できるのでしょうか。磯田道史氏は江戸時代の出版文化について次のように述べています。

 

「ところが日本では仮名交じりの木版出版文化で、本で女性や庶民へ実学が広がった。識字率の高い、労働力の質の高い社会ができあがった。いわば「本」こそが日本を作ったといってよい。大砲が日本を作ったのではない。すぐに大砲も自動車も自前で作れるようになったが、この日本人の基礎教養は、長い時聞をかけて「本」が作り上げた。この点が重要である。 幕末の日本もまた、「本」が動かしたといってよい。長州のイデオローグにして、松下村塾で多数の人材を育てた吉田松陰は、万巻の書を糧として自らの思想を形成した人である。」(『日本史の内幕』)

 

スマホから流れてくる偏った情報に支配さるのではないかと危惧するのですが。

 

「報道自由度、日本は67

国際ジャーナリスト組織「国境なき記者団」(RSF、本部パリ)25日、 2018年の世界各国の報道自由度ランキングを発表、日本は前年の72位から 67位に順位を上げたものの 「慣習や経済的利害による束縛」「フリーや外国人記 者の活動制限」などの問題 点が重ねて指摘された。 メディアを「国民の敵」 などと罵倒するトランプ米大統領を含め、世界各国で報道を敵視する指導者が台頭。RSFは「事実に基づく議論を封殺する動きが拡大している」と警鐘を鳴らした。(以下略)」(2018426日西日本新聞)

 

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初めての年賀状 [生活]

 

 

女性の新聞の投稿欄からです。

 

「紅皿 「あんたもかわいいよ」

庭のサザンカの花がら摘みをしていると、つぼみや真っ盛りの花はきれいだが、茶色く枯れ た花を見ると、シミやシワ、白髪、薄毛と、老いの不安を感じる自分と重なってしまう。若いころは、小さくてやせていて「かわいい ね」と言われたこともあったけど、今は誰も言

ってくれない。自分の顔を鏡で見たくない。これから老いていく不安や病気になったときのことを考えると眠れないことがある。ツバキのように、ポトンと潔く散ってしまいたいと思うときもある。直そんなある日入院している母の病室を訪ねると、おやつを食べ終えた80代くらいのおばあちゃんがベッドにちょこんと座っていた。母に「あのおばあちゃん、かわいいね」と言うと、母も「うん。口が小さくてかわいいね」と言った。それをおばあちゃんに伝えると、「ありがとう あんたもかわいいよ」.と言ってくれて大笑い。(以下略) (臨時職員・58歳 福岡県嘉麻市) 」(2018127日西日本新聞)

 

まもなく後期高齢者になるので来年から年賀状をやめようと思っていたら、こんな投稿を読みました。

 

90歳で初めて 書いた年賀状 65

 テレビニュースで1枚の年賀状が紹介された。90歳 で初めて書いたというおばあちゃん。夜間中学校に通い、覚えたての文字で書かれたものだった。 女は学校に行かんでよか と、6人の妹弟の面倒を見 てきた。それが当たり前の 時代だった。文字で思いを 届けたいと、よわい90の女 性が読み書きを学ぶ姿勢は 新年にふさわしい。 私は5年ほど前に訪問し た北九州市の城南中学校 「夜間学級」を思い出した。 戦中戦後の混乱の中、十分 に義務教育を受けられなかった方々が小中学校程度の読み書きや計算を懸命に勉強されていた。70代の男性は読めない、書けないことを知っている同僚から連絡事項をわざとメモで渡されたと。転職したくても履歴書が書けず、学べなかったゆえの苦しさ、悔しさの胸の内も聞いた。「字を覚えたら堂々と歩けるようになった」「文字を知ることで人の生き方が変わる」と言われた。まさに「学ぶことは生きること」だった。」(同前)

 

いくつになっても向上心を持つ姿は神々しい。私の向上心はどこに行ったのだろうか。

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