支援の届かない仕組みではないか [支え合う社会]
JR九州は賞与を5割カットするのだという。コロナ禍はこの国のカタチを露わにしているのでしょうか。巨額の内部留保を抱え込んでいるのに、国の施策の変化を求めているのに、エビデンスがないとして見送られているのはどうしたことでしょうかる。下記のような貧困に苦しむ人たちを置き去りにしていないでしょうか。
締め付けられるような思いがしました。「電源の入らない携帯電話がつながる日はあるか~渋谷・ホームレス女性殺害 - 奥田知志|論座 」では、ホームレスの人が殴られて亡くなった事件について奥田氏は女性が電源の入らない状態でもどこかにつながりたいという思いを抱いていたのではないかと 「『いのちの分断』が進む社会で必要なのは想像する力、共感する力、そして連想する力」(奥田氏)が必要ではないかと述べています。
善意が広がっていることも教えてくれます。
「記者コラム 2020/11/25 西日本新聞 ふくおか都市圏版 森 亮輔
「少しでも支援になるよう寄付したい」「うちの事業所でよければ雇用したい」。新型コロナウイルスの影響で仕事がなくなり、路上生活を送った末、真珠販売店で現金を脅し取ろうとした女性を紙面で取り上げると、女性の担当弁護士や本社に善意の申し出が相次いだ▼匿名の読者から「心の栄養になれば」と図書券も届いた。弁護士を通じて図書券を受け取った女性は「辞書など残るものを買いたい」と言ったという。法廷で「普通の生活がしたい」と語った女性。辞書を引くように一歩ずつ、生活を立て直す姿を思い浮かべた(以下略)」
貧困にあえぐ人たちに救いの手を組織的に支える仕組みが機能していないのではないか。それは国の施策が機能していないこともありますが、制度そのものを転換する必要がありそうなのですが。
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