終末期の医療は変わったのか [介護保険]
断捨離というほどのものでもありませんが、ボチボチ本の始末を始めました。そこで本当に今処分してもいいかどうか再読しているものがあります。『長命社会を生きる―30代の記者たちと読者との往復書簡』(毎日新聞社会部編)もそのひとつで、1997年刊行されたものです。この年には山一證券の廃業が発表されたという。介護、安楽死に関するたくさんの手記がありましたが、遠藤周作さんのエピソードにひきつけられました。
「故遠藤周作さんの妻順子さん(69)が語ってくれた。
――|いつだったか、私が用事で出掛けようとしている時、あの人が花見に行こうと言ってきかないんです。仕方なしについて行くと、桜の花がまるで幕のように降っている。ベンチに腰掛けて小一時間、ながめていました。そこで私は用事のため別れたのですが、あの人が桜の幕の中を歩いて行きました。後ろ姿が消えていくのです。あの目、なぜか私は涙が出て、電車の中でも止まりませんでした。
人工呼吸器が止まり、管を全部外してもらった時、それまでの苦しそうな顔がスーツと変わって、光に包まれたような至福の顔になったのです。それまで、闘病の3年間苦しんでこのまま死ぬのなら、いったい何のための苦しみかと、大きな喪失感が私にはありました」
遠藤氏が亡くなったのが1996年だという。遠藤氏が管で支えられた命と苦しみは、今はどのような流れになっているのでしょうか。帯には「介護とは、安楽死とは、そして『生きる』とは」とあります。1997年は介護保険が始まった年だと思います。介護問題は、「自助・共助・公助」を掲げる内閣でどう変わっていくのでしょうか。先は暗そうだ。
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