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仕組みを問う

 


 


コロナ禍で欧米の中で救命措置の順番が論じられたこともあり、最近ではALSの「安楽死」事件との関連でトリアージ論が紹介されたことがあると思う。これらについて中島岳志氏は次のように指摘しています。


 


 「雨宮処凛は『相模原事件・裁判傍聴記 「役に立ちたい」と「障害者ヘイト」のあいだ』(太田出版)の中で、植松聖死刑囚の危険な論理に迫る。


 植松は、日本政府が財政難にあえぐ中、障がい者への福祉政策への予算配分に疑問を呈する。社会福祉の充実によって政府の借金が膨大になり、大地震などが起きたときの政策に支障が生じることを懸念する。彼は国の将来を憂い、危機感を募らせていた。そして、徐々に肥大化させたのが、障がい者を「命の選別」の対象とする独善的な「正義感」だったのである。雨宮が指摘するのは、行き過ぎた競争による自己責任社会が、多くの人を追い詰めている現状である。」と指摘する」(「論壇時評 トリアージ論の危うさ 行き過ぎた「自己責任社会」2020/8/1 西日本新聞」)


 


 


 障害のある人の社会参加を支援する国の予算は全体の1%しかない。それでも、無駄だという人がいます。その論で行けば、私たち高齢者は表向きの長寿の祝辞と財政難との宣伝を鵜呑みにした人のトリアージにかけられるのではないかと脅えます。障害のある人のなかでは「親亡き後」の心配が延々と続いています。最近も母子心中事件がありました。それを縛っているものは「扶養義務」です。長い間、明治生まれの「扶養義務」という民法の改正の必要がいわれてきましたが、障害者団体側の懸念として次のようなことがあると藤井克徳氏・日本障害者協議会代表は指摘しています。


 


「相手は、民法というとてつもない壁であり、簡単には崩れまい。それどころか、前述した『弾み方に よってはおかしな方向に』の可能性もある。扶養義務制度の弊害が凝り固まってしまう心配である。実際、保守層を中心に現行の扶養義務制度、家族制度を、「日本の美風だ」と賛美する声は根強い。頼りの国会の大勢がそうした論調に傾いているから 始末が悪い。」(「障害のある人と扶養義務制度」すべての人の社会 2020年8月号日本障害者協議会)


 


藤井氏はその困難さを指摘しているということではないか。政治的状況の改善が進まないジレンマの深さだと思う。夫婦別姓の話も同様だという。争点化が難しい状況だということかもしれません。難題にどう立ち向かうのか、問われているのは日本社会です。


 


 


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