有馬藩だが [てんかん]
「有馬氏入城400年記念 石垣と家紋でロゴ 日の出イメージ 久留米市
2020/8/29 西日本新聞 玉置 采也加
福岡県久留米市は久留米藩主の有馬豊氏(とようじ)が久留米城に入って400年となる来年に向け、ロゴマークを作って有馬氏と市の歴史をPRしている(以下略)」という。
私が育ったところは旧久留米藩と旧柳川藩の境界であり、久留米藩の境界にあたった所でクリークを挟んで旧柳川藩の子どもたちと石を投げ合いました。久留米城を知ったのは、城近くの久留米大学精神科に、てんかんの治療にたまにでかけるとき、高いところにある石垣の記憶しかありません。
高校生の時は学校を頻繁に休めないし、就職したときは定期的に通院しているとしたら解雇されるかもしれないと思いましたので、母に薬だけ取りに行ってもらいました。やがて母も老いて通えなくなり、土曜日診療があるところや、18時まで受付可能というクリニックなどを利用しました。このように母に苦労かけましたが、いつ解雇されて帰ってくるかと、玄関の戸が音をたてるたびに母は覚悟したという。
数年前、久留米城に立ち寄りました。大学も明るい建物になっていました。
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