「ヨレヨレとくたびれてゆく時」
障害者の親にとって大きな問題なのは、「親亡き後」のことだと思いますが、死んでからの問題ではないとする意見がありました。今はやりの言葉でいえば「フレイル」(衰退)があるはずだし、死ぬ前の問題という。
「ピンピン暮らしている時期の次に、たいていの人の場合はヨレヨレとくたびれてゆく時期がある。病んで不自由になったり寝たきりになったりもする。それが生身の人間というものなのに、まるでそんな期間は存在しないかのように、あるいは存在してはならないかのように、ピンピンとコロリが接続されて『ピンピンコロリ』が喧伝されていく。
私たちの世代の親にとっては、ピンピン我が子の介護を担えていた時間はもうとっくに終わって、私たちはこれから親亡き後までの長い時間を、まだまだ老い、病み、衰えながら生きていかなければならないのに、まるでそんな期間はどこにも存在しないかのように、存在してはならないかのように『親亡き後』だけが論じられている」(『私たちはふつうに老いることができない/高齢化する障害者家族』児玉真美著)
私の理解では、親亡き後は老化が進んだ生活を含めての課題だと理解していました。くたびれてゆく時の真っ只中にいますので、児玉氏の意見ももっともですし、そこにある問題が提示されていないとの意見かと思いました。例えば、お年寄りには「エンディングノート」があります。障害者の家族を兄弟姉妹がおればどのように対応してもらうか、いなかったら誰に相談するかということなどが想像されます。大分県の精神障害者団体の「『親なきあと』は自立支援で」には、次のように記されています。(大分県精神障害者就労推進ネットワーク編)
「『親が元気なうちからこの3つの取り組みを始めよう』というのが私たちの呼びかけでした。
①いま使える支援・サービスを知って活用する。
②本人、親、家族、支援者のつながりを見直し、つくりなおす。
③地域への理解と支援を広げる」
児玉氏が想定する課題と重なるように思われますが、重症障害者の課題が多分あるのだと感じました。
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