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出版屋の本を読みました [読書]

 

 

フランスではデモで増税を食い止めたという。日本ではデモは起こっているのだろうかと空想しながら嘆いているだけです。

そんなときに、『出版屋(ほんや)の考え休むににたり』(福元満治著)を図書館で借りました。出版社の代表であり、「ペシャワール会」でも活動されています。出版界に関連するものや本の紹介など多岐にわたっています。

 

まずは、パキスタンなどで活動する「ペシャワール会」に関連しての話です。

 

「ではなぜ医者が失業するのか。

夏は40度を超える地域で、マラリアや腸チフスにアメーバ赤痢など熱帯性の感染症が流行し、栄養や衛生状態が悪い上に衛生観念も低い。だから病人はたくさんいる。しかし医療保険制度がないために、「病人」でもお金がなければ「患者」になれないのである。患者が少なければ、必然的に医者は失業ということになる。だから大半の医者は、午前中は公立病院に勤め、午後からは自分のクリニックを開き、そこに裕福な患者に来てもらうということである。(略)

私たちが対象としたのは、ハンセン病や極貧層の人々である。そうでなければ、外国人による無料に近い医療活動は、現地医師への営業妨害となるのである。 ところが問題はそれだけではなかった。私たちの病院は、診療費と薬代共に原則無料であった。ところが無料だと何が起こるか。朝早くから近所の元気な患者さんが並び、もらった薬をバザールで売り払うのである。」

 

貧困ゆえの大変さが伝わります。

次には、己を励ますために「高島野十郎」画集を観るという。

「そうは言っても晩年の野十郎が、電気も水道もない小屋同然のアトリエに住み、見かねた隣人の好意を柱にしがみついて拒否したという挿話や野垂れ死にを望んだという逸話が、やはり観る者に憑いてしまう。(略)

高島野十郎(本名高嶋弥寿)は、明治二十三年に福岡県三井郡合川村(現久留米市) に生まれている。兄は青木繁の親友宇朗。旧制明善中、東京帝大の農学部水産学科を首席で出ながら銀時計を辞退し、画業に専念している。編者の一人西本匡伸氏によると、母方に画家の血筋

があるというが,絵は独学、生涯独身であった。時折開いて「こういう画家もいるんだ」と、己れを叱咤するためにも眺めたくなる画集である」

 

私が高島野十郎を知ったのはテレビでした。晩年の棲家が映し出されました。こういう生き方を選んだという凄さにひかれて展覧会に行きました。それから何度か見たのは、医師の弱さを、まさに「己れを叱咤」したいからでしょうか。

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