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メダルの裏表 [介護保険]

 

 

9日、長崎の平和式典の中継を見ました。夜は「ハートネットTV」で元におニャン子クラブの新田恵利さんの母親の介護と自分の老後に対する取り組みなどを観ました。公的なサービスをうまく使いながらも生活に介護を組み込んでいく姿が印象的でした。その後、NHK総合で『ジブリのうた』を観ました。高畑勲監督へのオマージュでもあるのでしょうか。

二階堂和美さんの「スタジオジブリ映画『かぐや姫の物語』では主題歌「いのちの記憶」を作詞・作曲・歌唱。東京での活動を経て、2004年より故郷である広島県在住。浄土真宗本願寺派の僧侶でもある。」(Wikipediaより一部引用)放送でも「いのちの記憶」を初めて聞きました。

 

介護の話で最近読んだ本にこんなものがありました。

かつて各地に「朝鮮人長屋」や「朝鮮人街」があったと思います。日本が戦争に敗れた15日は、朝鮮半島では植民地からの解放記念日であることを忘れてはいけないと思う。

 

「私がここではっとさせられたのは、その理由である。 ハルコさんが母親の食事の支度を手伝ったり、料理を教わったりできなかったのは、国民学校高等科を卒業してすぐに名古屋へ挺身隊として働きに出てしまったからだというのだ。普通だったら母親 や家族とともに過ごすはずだったハルコさんの子供の頃の時間は、戦時下において挺身隊という経験に取って代わられていたのだった。

 

挺身隊。この言葉を聞いたのは初めてではなかった。すまいるほーむにくる以前に働いていた隣町の老人ホームで、かつて沼津に住んでいた二人の利用者さんから、戦時中に沼津にあったという「朝鮮人長屋」や「朝鮮人街」 それについて調べていくなかで「朝鮮人女子勤労挺身隊」という言葉を知ることになったのである。『沼津市史』「朝鮮人長屋」「朝鮮人街」という 言葉は見つからなかったが、戦時中に沼津に軍需工場と指定された東京麻糸紡績の工 場があり、多くの朝鮮人の女性労働者が動員されていたことが日記されていた。更に市 の図書館で調べてみると、東京麻糸紡績会社の沼津工場に「朝鮮人女子勤労挺身隊」として動員されていた韓国人女性二人が、日本政府を相手に公式謝罪と賠償を請求した資料が見つかった。」(『介護民俗学という希望』)

 

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