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地域の活性化は [生活]

 

 

新聞の特集欄からです。

 

「ここに生きる

公共交通機関は「生命線」 北九州市八幡東区枝光本町商店街

ジャンボタクシーひた走る 5路線で62本 毎日300人利用

「地域に血が通った」

 

産業構造の変化や住民の高齢化、大規模郊外屈の攻勢にさらされながら、シャッター通りへの転落を食い止め、活は性化を模索し続ける商店街がある。北九市八幡東区の枝光本町商店街。そこには高齢者を「買い物難民」とせず、同商店街に運ぶジャンボタクシーが走っている。人口減社会における公共交通再整備の先進事例として、全国の注目を集める現地を訪ねた。(生野秀樹)」( 2017818日西日本新聞)

 

枝光のジャンボタクシーの話です。

 

「買い物袋を提げた高齢者たちが三々五々、「枝光やまさか乗合ジャンボタクシー」の停留所に集まってくる。街頭 スピーカーから昭和歌謡が流れる昼下がりの枝光本町商店街。この乗り場を発着点として、12人乗りのワゴン車2台が東西約700M、南北約2キロの枝光地区を5ルートに分けて走っている。日祝日を除いて年間約300日営業し、 運行本数は一目62本。運賃は 1回乗るごとに一律200円 で、毎日約300人が利用し ている。 商店街を発車して12分 もすれば、車は険しい坂道にさしかかる。この地域は山の斜面に沿って宅地造成された。八幡製鉄所の本事務所が枝光にあった頃、多くの鉄鋼マンが山の上に家を建てた。しかし1990年に本事務所は戸畑に移転。山の上の住民たちは高齢化し、歩いて商店街まで上り下りするのが困難な「買い物難民」予備軍になってしまった。坂の上、八幡 東区大宮町に住む女性(86)は 「今日は買い物や郵便局に行くのに4回ジャンボタクシーを利用した」と言う。「膝が悪いので、ほぼ100M置き停留所があるのもありがたい」商店街で約70年続くそば店を守る井上敏信さん(69)も「ジャンボタクシーで昔からのお客さんが訪ねてきてくれる。今や商店街の生命線ですよ」と話す。

 

ジャンボタクシーは2000年、地元の光タクシーが運行を始めた。その2年前、常務として同社に入社した現社長の石橋孝三さん(55)は、当時の枝光の状況が「干上がった池」に見えたという。「本事務所移転で急速に衰退していた。よその地域で稼ごうにも同業者間で食い合いになるだけ。そこで目を留めたのが、タクシーの敵の自家用車を持たない人々だった」

モータリゼーションの到来前、商店街は地元の人が歩いて日用品を買いに来る場だった。

しかしマイカー族は広い駐車場のある郊外型店舗に流れ、零細商店は壊滅の危機にひんする。身近な商店がなくなれば、車を持たない人はどうやって生活すればいいのか。ジャンボタクシーは、石橋社長の危機感から生まれた。 開始当初の運賃は1100円。そんな料金設定では本業のタクシーが打撃を受けると業界内から奇異の目を向けられた。会社の方針に疑問を持って辞めていく運転手もいた「結果的に相乗効果でタクシーの利用者も増えた」と石橋社長は笑う。隣接する東田地区に06年、イオンの大型ショッピングセンターが開業。「それでも商店街が延命しているのは、ジャンボタクシーが山の上のお客を運んできてくれるおかげだと言われるのがうれしい」。ちなみに、ジャンボタクシーはイオンにはあえて足を延ばさない。「商店街を守りたいと始めた取り 組み。そこは筋を曲げたくない」と石橋社長。 (以下略)」(同前)

 

公共交通は地域の資源のはずなのに民間任せなのです。これでは買い物難民は放置されます。公共交通は社会資源なのに、事業者の都合に任せっきりなのです。

 

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