逃げるだけの施策でよいのか [原発]
新聞の投書からです。福島に学ばなかった責任は国民すべてが背負うことになります。
「再稼働を前にごみ処理示せ 69歳
ドイツに続いて、台湾も脱原発に踏み出したというニュース。素晴らしい決断と思った。その理由を聞いて深く考えさせられた。「日本の福島での原発事故」が後押ししたという。
一方で、あれほどの惨事を招いた福島原発事故があっても、原発の再稼働を目指している日本。何をもって大丈夫と言うのか、私には理解できない。福島の事故をどう位置付けているのだろうか。いまだに廃炉ヘの道筋が見えない状況を、政府や電力会社はどう考えているのか、国民には全く見えない。再稼働をするのなら、ただ逃げるというだけの訓練よりもっと大切なことがあ
ると思う。それは人間に害 がないよう、これからも増 える核のごみをどこでどう やって処理するのかをきち んと示すことです。それを 再稼働前に提示することで
す。」(2017年3月8日西日本新聞)
そして、被爆者として、原発も同根の問題として訴えてきた林京子氏は逝った。
「林京子さんを悼む 田中俊廣
林さんは年齢を重ねるごと に、時代や社会を見据えながら原爆と平和を問い続け、思索や思想を深めてきた。「再びルイヘ。」は、東日本大震
災の大津波と福島原発事故を モチーフにしている。8月6
日、9日の被爆と原発事故の 「内部被曝」との関連性を主軸に、現代の更なる危機を切実に憂え、未来への指針を提示している。
生前最後の作品集となった ,「谷間再びルイヘ。」(講談社文芸文庫、16年12月)の あとがき、その末尾にこうある。「お付合いくださった読 者のみなさま、ありがとうご
ざいました。読んでくださる人がいる、救いでした。みなさまの明日が平和でありますように」。まるで遺書である。謙虚である。まさに、作品の成立は作者と読者との共働作業であるから。
「やすらかに今はねむり給え」(1990年)は、鹿児島の七高生が動員先の長崎で被爆死したことを悼んでいる。今、このタイトルをそのまま林さんに捧げたい。読者として、これからも作品に寄り添っていくことを改めて念じながら。(たなか・としひろ詩人、活水女子大教授。長崎市在住)(一部引用)」(同前)
林氏の思いを受け継がないといけないのでは。
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