歳月 [読書]
「歳 月 茨木のり子
真実を見きわめるのに
二十五年という歳月は短かったでしょうか
九十歳のあなたを想定してみる
八十歳のわたしを想定してみる
どちらかがぼけて
どちらかが疲れはて
あるいは二人ともそうなって
わけもわからずに憎みあっている姿が
ちらっとよぎる
あるいはまた
ふんわりとした翁と媼になって
もう行きましょう と
互いに首を締めようとして
その力さえなく尻餅なんかついている姿
けれど
歳月だけではないでしょう
たった一日っきりの
稲妻のような真実を
抱きしめて生き抜いている人もいますもの」
敬愛する茨木のり子氏の死後の刊行です。何か詩人のふところを覗くようでまだ読んでいません。次の随筆を読んで刺激を受けました。
「手紙 田尻久子
手紙を書かない。それでも、もらうのは嬉しいものだ。最近では、見知らぬ
人からも頂くことがある。地震の後は 特に多かった。お見舞いの言葉をたくさん頂いた。遠くから来店して下さった方が、後日お礼状を下さることもある。来て頂いているので、お礼を言わなければいけないのはこちらなのだが
先日、お会いしたこともない方から 手紙を頂いた。以前、雑誌に寄稿した 書評を読んだと書いてある。紹介したのは、茨木のり子さんの『歳月』。茨木さんは生前「Y」と書かれた箱を所有していた。Yとは、夫・ 三浦安信さんのイニシャル。中には、彼の死後、長い間に渡って書かれた四十篇近い詩が入っていたそうだ。箱の中の言葉はラブレターのようなものだからと、彼女がこの世を去るまでは封印されていた。それらをまとめた詩集だ。手紙を下さった方は、長年連れ添ったご主人を亡くされていた。
体に不自由もあったのだけれど、毎日たくさんの言葉を交わす、楽しい生活だったと書いてある。喪失感が強く、希望を失いかけていた、ともある。雑誌の頁をばらばらとめくっていたら、偶然、書評欄が目に留まり、『歳月』を買いに走ったそうだ。茨木さんが残した夫へのラブレターは、彼女の心の支えになったという手紙だった。(書店、喫茶店主。挿絵は豊田直子さん)(一部引用)」(2017年3月9日西日本新聞)
改めて豊かに生きられたように見える詩人の作品に接してみたいと思う。
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