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みちのく赤鬼人 [震災]

 

 

4年目の震災。鼻血はきちんと論議されず、「吉田調書」など事実は示されず。何かが変わったのだろうか。

 

小森陽一著『死者の声、生者の言葉』では、次のような詩が紹介されています。

 

「金時鐘の「代弁する表現者」という言い方の中には、和合亮一の「後世に伝える」 という思いと重なる、代理し代行するという発想がある。
「『元気を出しましょう』『がんばりましょう』では、壁にあの言葉を刻みつけて命を絶った人が視野に入っていない」という金時鐘の批判を受けとめながら、私はあえて、みちのく赤鬼人と名乗る詩人の「壊れた街での挨拶は」(『詩人会議』2011.6)という2011410日付の詩を紹介したい。

 

海底が動いて五メートル隆起したのだという

大海が揺れて巨大な津波となった

 大津波に追われて走った人々があり

津波に呑まれて流された多数の人と車があった

 

津波が引いた跡の街の姿に

誰もが言葉を失った 眼を疑った

見覚えのある風景は消えて 瓦礫の山

写真で 見た ヒロシマだった 沖縄だった

 

川向いの湊町には津波で倒された家々が重なり

町をつなぐ橋の上には三隻の船と

流れ着いた家屋の残骸の山

弟の安否を問うて橋を渡ったのは三日後のこと

 

車の座席に座ったままの屍体があった

同行の娘はいまも恐怖を語っている

遺体安置所には百を超す棺が並び

棺が間に合わない遺体も数十を数えていた

 

全てが失われた

談笑に溢れていた家屋が破壊された

働いていた魚の加工場も消えた

消えた漁船は一万二千、消えた漁民は?

 

豊かな海は 穏やかさを取り戻し

四月の光を存分に浴びて眩しく輝く

海の中では大羽鰯の祝宴か?

海に綱が刺される日は来るのだろうか

「命(いのず)あってえがったね」

「がんばりすべ、それしかねえべ」

いま 壊れた町の街角で交わされている言葉

胸に響きつづける一つの言葉

 

自分を励まし 相手を励まし

励まし合いを重ね重ねて

一日一日を積んでいく

暗闇の道を歩くような つよい不安を抱いて

 

「がんばりすべ」

「がんばりすべ、それしかねえべ」

「がんばりすべ」

「がんばりすべ」

 

震災を利権に変える人たちがいることを忘れない。

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