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歴史散歩・天神にあった肥前堀 [歴史散歩]

 

 

現在の天神地下街大丸入口近くに「石積みの広場」があります。これは、かつてここにあった「肥前堀」をイメージしたものです。天神から福岡市役所南側などが堀にかかるそうです。福岡城築城時は、石垣がなく、たびたび土手が崩れたので文化8年(1811年)に石垣を築いたとの記録が残っています。なぜ、肥前堀というかというと、佐賀藩は関ヶ原では豊臣方につきます。徳川からすれば敵ですが黒田如水(官兵衛)に頼み込んで、とりなしを頼みます。官兵衛に対する徳川の信頼は厚く、鍋島家は安堵されたと言われています。そのお礼として堀の修復などに佐賀藩が支援したということから名づけられたという。

 明治43年、埋められたという。

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