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かつての戦争で障害者は [平和]

 

 

「語り部の井上さん「平和に尽力して」 朝倉市で講演会 [福岡県]

 

 講演会では、太平洋戦争末期に特攻隊の中継基地となった旧陸軍大刀洗飛行場の歴史について、筑前町立大刀洗平和記念館の山本寛館長が説明。同飛行場の空襲を経験した井上さんが戦争体験を語った。

 井上さんは学徒動員され、大刀洗陸軍飛行学校で航空機の整備に従事。1945年3月、空襲に遭った。「急いで逃げると、飛行場方面は真っ赤な炎と真っ黒い煙に包まれていた」と当時の様子を語った。出撃を翌日に控えた若い特攻隊員からリルケの詩集をもらい、「おまえたちはしっかり勉強しろよ」と励まされたエピソードも披露し、「もっと勉強を続けたかっただろうに…」と特攻隊員の心情を思いやっていた。(一部引用)=2014/05/16 西日本新聞朝刊=」

 

同じ新聞に次のような投稿がありました。

 

「障害を理由に 徴兵「不合格」  83

 

戦中、「徴兵検査」というのがあった。男子は満20歳になると、みんなこれを受けなければならない。軍人になれるか、なれないかを決める身体検査。会場には、いかめしい軍医が待っている。いわば軍国主義時
代の「成人式」である。
私は20歳になる前に終戦 になったので受けなくて済んだが、私の障害者仲間の先輩はこの検査を受けて「丙種不合格」とされた。片脚が不自由だったためだ。素っ裸で軍医の前に立たされた彼は「不合格」と 認定されたあと「おまえは男のくせに軍人になれないのを恥と思え。米の飯を食う資格もない」と大勢の前でののしられたという。
彼は死ぬまでこの話をして「戦争で一番損をし、怖い目に遭うのは、子どもと女性、そして障害者だ」と言っていた。」(2014516日西日本新聞)

 

かつて、米の飯を無駄に食べているという非難を込めて「穀つぶし」と呼ばれました。ヨーロッパでは、てんかんや統合失調症の人たちの断種が進められ、さらには、てんかんの人が多くいたベーテルではガス室送りになる間際で救われたという歴史があります。人権侵害の最大のものが戦争かもしれません。

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