いいひと [社会]
用事があってでかけました。天神は山笠でにぎわっていました。新天町とソラリアの二つの山笠を見て帰りました。
こども山笠朝日新聞に落合恵子さんの連載がありますが、今日の分に次のようなくだりがありました。尊敬する先輩に何かをしようという話がグループででた。そのときに「・・・してあげる」という言葉が出たことなどの違和感などについてふれながら
誰もが「いいひと」でありたいと願う。あるいは、このひとには「いいひと]でありたいと思う対象はいる。しかし,相手に1 ㍉グラムの屈辱も感じさせず、このうえなく自然に、何かを差し出すことは難しい。ひとは、自分が他者から「して欲しいこと」を誰かに差し出すとき、「いいひと」である自分に充実を覚えるのか。そしてそれはほんとに「いいひと」であることなのか。わたしにはわからない。十全であることは不可能でしょう。このようにこれで良いのかと自らに尋ねるしか方途はないかのように見えます。
山笠が益々見世物に転嫁していくとき、これが本当の祭りなのかと問うことも大事かもしれません。みんながしているから良いのだと簡単には納得しないことも大事なように思いながら電車に乗りました。
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