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平等にはならない?という前提の復興? [震災]

 

 

タニシが少し復活しているそうです。弥生時代から食用に利用されていたそうだ。私たちは戦後、よくとって食べましたが、1960年代の農薬散布で消えていきました。農薬の影響が減りつつあるのでしょうか。

 

水俣病公式発見から半世紀がたちました。日本は変わったのでしょうか。石牟礼道子氏は次のように述べています。

 

「昨年10月、熊本県水俣市で「全国豊かな海づくり大会」がありました。胎児性患者と天皇、皇后両陛下との面会がかないました。大会前に私は「胎児性患者の人たちに会ってくださいませんでしょうか」と皇后さまにお手紙を書いたのです。生まれてから一度もものを言ったことのない人たちが何を思っているか、感じ取っていただきたかったのです。大変感謝しております。 大会では、豊かな海をつくろうと稚魚を放流しました。しかし、豊かな海ってどういう海だろうかと思うのです。日本人の情感を養ってきたなぎさの景色、海辺をはだしで歩ける喜びは、今はありません。国民に、海に対する親愛感はほとんど育っていません。豊かな海はどんな姿なのか、一般市民も鈍感になっているのです。近代化を急いだあまりに、人格が落ちてきたのでしょうか。」(201452日西日本新聞)

 

そうしたなかで震災が起こりました。それを私たちはどのように解決していこうとしているのでしょうか。

作家の高村薫氏は、共産主義社会が幻であったように平等な社会はありえないとして「人間の社会には、得をする人がいて損をする人がいて、幸せと不幸が 入り交じり、けっして平等でもない。ついていない人はとことんついていないし、不幸な人は本当に不幸で、幸せな人は腹が立つくらい幸せというのが人間の社会です。」(『日本人の度量』)

この本で指摘しているのは震災からの復興について述べています。それは、阪神大震災を経験し、その復興を体験しての意見ですので重みがあります。

 

「もともと人口が減り続けていて、高齢世帯が多く、それで過疎化が進んでいた東北。もちろん復興はさせなければいけませんが、そういうところに以前と同じようなものを作り直すのが復興なのかというと、そうではないと私は思います。ところが、前と同じものを作ろうとしている。道路を作って鉄道を作って、港湾も全部整備する。けれども人はたぶん戻らないと思います。」(同前)と、被災地にすれば突き放した印象があるようにも聞こえますが、真意は別のようです。

「神戸港も震災前の需要には戻っていない。神戸がつぶれている間に、ハブ港の機能はみんな韓国にもっていかれました。きれいに作り直しても、神戸のように便利なところでも人が戻らないのに、東北の沿岸部のもともと人が住んでいない小さな漁村ばかりだったところをもとのように作り直してどうするのでしょうか。もう少し地元の方たちとしっかり話し合って、地元の方たちが、知恵を絞るべきだと私は思います。」(同前)

 

だが、韓国に移ったハブ港も、今回の事件でその危うさを露呈しました。どうでしょう。ハブ港とハブ空港をもつ韓国の優位が続くかどうかは分かりません。そして、幻であっても、「平等な社会」という理想があってこその復興目標ではないかと思う。判断基準としての「平等社会」は必要なのではないかと思うのですが。

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