国が求めた出産 [社会福祉]
旧優生保護法による妊娠中絶の補償の問題が報道されましたが、謝罪と違憲性を求めた裁判が続けられています。現在でも、少子化対策として「女性に子どもを産んでもらいたい」という政治家がいます。子どもを産みたい環境をつくることが政治の使命なのに、産むことだけを求めています。これは政策ではありません。
「すべての人の社会」2020.1月号 日本障害者協議会で「堕胎罪一優生(母体)保護法という人口政策 大橋由香子」では、次のような事実を紹介しています。
「皆さんは、『産めよ、殖やせよ』という言葉を見聞きしたことがありますか?今の日本でも、少子化で大変だ!もっと女性に産んでもらわないと、という政治家の声が報道されていますが、「産めよ、 殖やせよ、国のため」は1945年まで戦争をしていた日本のスローガンでした。女性は「子宝部隊」と呼ばれ、健全な子をたくさん産んだ夫婦は「優良多子家庭」として表彰されました。 1868年以降、明治政府は欧米のような近代国家をめざして、産業化や戦争の役に立つ労働力・兵力の増強をはかりました。1869年には、産婆(助産師) に対する堕胎禁止令が出され、その後、1907年の刑法には堕胎罪が制定されました。堕胎とは人工妊娠中絶のことです」
こうした社会的な空気の中で、強くて、逞しいこども作りが奨励されていくのです。40年前の国際障害者年の時代に、例えば、てんかんの人は法律的には旧優生保護法の対象でした。
現実的には、てんかんどなどでも結婚していく人も増えつつあった時代です。それでも1996年の法改正まで大きな問題になりませんでした。不思議な気がします。今回の動きは、国会としての怠慢も認めたものだと言えるかもしれません。
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