いろんな苦しみ [寛容な社会]
相模原障害者施設殺傷事件の公判が始まりました。この事件は施設の在り方などを含めて多くの課題を投げかけています。そのひとつに、入所定員が150人という大規模施設だったこと。大規模ゆえに45人もの被害者が結果的に多数になったことなどがあると思います。だが、大規模にならざるを得なかった障害者施設の背景があります。開設が1964年という。障害者施設がまだ少なく、入所施設も少なく、行き先がなく、公的な施設としてコロニーみたいな形で開設された歴史があります。今ならこれだけの大規模施設というのは難しいと思われますが。裁判の行方は分かりませんが、被害者もまた匿名にするというなかで、名乗りをあげた親が実名を名乗ったということに苦しい思いが交錯したのだろうと思いました。
公判の前日の新聞の「相談」欄にこんなやりとりがありました。
「比呂美の万事OK 若いときにしておけばよかったことは 伊藤比呂美
Q若いときにしていでよかった、しておけばよかった、ということがあったら教えてください。もちろん、年を重ねたからできない、ということは少ないと思うのですが。(20代女性)
Aしておいてよかったと思うのは、実はいろんな苦しみだったりします。 摂食障害。恋愛。結婚とか離婚とか。そういう、当時はただもだえ苦しむばかりだったことが、64にもなりますと、ああ、あの頃やっといてよかった、それが 血肉になり栄養となって今のあたしがあるとひんぱんに思います。それから、外国に住むこと。(以下略)」(2020年1月7日西日本新聞)
若いときに苦しいことがありましたが、年寄りになったからといって苦しさがなくなるとは言い切れないように思います。津久井やまゆり園の被害者の家族は高齢者ですし、老いがせまっ来ている私にとって「苦しみ」は逃れられないと思いますが、どうでしょうか。
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