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家族に頼るしかないのか [障がい者問題]

 

 

年寄りの楽しみは大相撲のテレビ桟敷です。優勝決定戦で貴景勝が一瞬ひるんだように見えました。前の怪我のイメージが残っていたのかとも思ったのですが、怪我していたと翌日の新聞で知りました。早い回復をお祈りします。それにしても、御嶽海の千秋楽の相撲は集中していました。いつも沢山の応援団の励ましが有名ですが・・・。

 

さて、障害者の家族が抱える課題のひとつですが・・・。扶養義務の問題です。

 

24時間テレビの前後に

藤木和子NPO法人日本障害者協議会理事 全国障害者とともに歩む兄弟姉妹の会

 

今年は8月末の「24時間テレビ」を最初から最後まで視聴しながら生活してみた。その放映が近づく時期に「障害や病気がある人の『兄弟姉妹J (以下、きょうだい)』に関するインターネット上のニュースに議論が起こった。1つは、バイオリニストの高嶋ちさ子さん「ダウン症の姉の面倒を見させるために・・・母は私を産んだ。もう1つ は、タレントの奥山佳恵さん「ダウン症の弟持つ 高2長男が福祉の道」。前者は「生まれた意味や期待」後者は「進路 選択への影響」。課題と議論の背景には、障害に対する差別や偏見、本人や家族の責任を期待する 世の中がある(民法877条の親子、兄弟姉妹の扶養義務)当然、きょうだいだけではなく、親御さんも、障害児者も「選択の良し悪しではなく、『自分の人生』を納得して生きられるかどうか」 という家族全体、社会全体の重要課題である。(以下略)」(『すべての人の社会』2019.9月号 日本障害者協議会)

 

 親とすれば自分が死んだ後に残される可能性が高い障害当事者をどんな場で暮らし、働いていくのかは気がかりです。そのためにも、入所施設が必要だという主張もあります。もしくは、入所施設が利用できなければ、障害当事者はどのように暮らしていくのでしょうか。

多くは「きょうだい」を頼るしかありません。高嶋さん、奥山さんの状況は大きな問題提起だと思います。民法の扶養義務は家族制度が不十分な核家族化で機能できるのでしょうか。

藤木氏がいう「選択の良し悪しではなく、『自分の人生』を納得して生きられるかどうか」 という家族全体、社会全体の重要課題である。」として選べる状況にあるのでしょうか。例えば、老いた親の介護もまた「扶養義務」に縛られていますし、それを放棄されたら介護生活は悲惨なものになりかねません。本来ならそうした状況をつくらないことが望まれているのだと思います。しかし、公助から共助にシフト化する政策のなかではそれは絶望的でもあります。扶養義務の問題を正面から問う福祉政策の論議が俟たれます。

 

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