歌の力は不思議 [社会]
「変わらないのは“歌の力” 音楽評論家 田家 秀樹氏
◆平成と音楽
平成の30年間ほど音楽シーンが激変した時代はなかっただろう。
実質的に昭和最後の1988年はアナログ盤がCDに切り替わった年だ。カラオケが普及しディスコブームが来た。それまでアンダーグラウンドだったダンスミュージックが巷(ちまた)を席巻した。その象徴が小室哲哉である。コンピューターを使ったR&Bという温故知新。宇多田ヒカルもそんな流れの中で登場した。
彼女がデビューした98年と世紀末が騒がれた99年はCDが最も売れた年になった。昭和の時代には数えるほどだったミリオンセラーが当然のようになり、音楽業界が空前のバブルに沸いたのが平成の前半だった。
ただ、その頃のことをそうした“量的変化”で済ませてはいけない。平成デビュー組のMr.ChildrenやスピッツにGLAY。更(さら)にSMAPの「世界に一つだけの花」。“売れた”曲はどれもヒューマンなテーマを内包していた。ポップスの“質的変化”。槙原敬之が言っていたのは「人生に意味のある歌を書きたい」だった。音楽に何が出来るか。95年の阪神大震災、2011年の東日本大震災、16年の熊本地震、チャリティー活動が定着した。AKB48は被災地に最も多く足を運んだアイドルではないだろうか。
30年間で変わったこと。デジタルの普及は音楽の作り方と聞き手の音楽体験を変えた。膨大な情報は音楽の新旧やジャンルを消滅させた。米津玄師の才能の開花はインターネットあってこそだ。
CDから配信という平成後半の流れは、ライブの価値を再認識させた。ドーム公演は日常化している。
変わらないもの。それは“歌の力”だろう。時代を超えたメロディーと人の心を打つ言葉。吉田拓郎、小田和正、井上陽水、松任谷由実、中島みゆき、浜田省吾、山下達郎、そしてサザンオールスターズ。平成最後の「紅白歌合戦」も実力者たちの格好の舞台となった。(以下略)=2019/04/14付 西日本新聞朝刊=」
私が働きだしたときに「高校3年生」が大流行しました。まだ、高卒で働く人が主流でした。働きながら夜間の大学に通う人もいました。そして、今も輝くのは中島みゆきさんです。
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