子どもたちが [読書]
『神の島のこどもたち』中脇初枝を読みました。奄美群島(奄美大島、喜界島、徳之島、 沖永良部島、与論島)の日本復帰が決まるまでの沖永良部島の動きを描いた小説です。特に、高校生を中心とした動きと島の人たちの悩み、こどもたちの成長を描いています。
島にとって沖縄の返還と奄美諸島の返還で分断されるのではないかという不安と親島の沖縄への思いで揺れています。
「シマ(集落)の復帰集会があった。帰るともう始まっているとあじ(おばあさん)が言った。 おじいさんおかあさん (略)
集会所は人でいっぱいだった。じゃーじゃ(おじいさん)もあま(おばあさん)も、どこにいるのかわからない。青年団も中の家 婦人会も来ていて、婦人会の会長のナカヌヤー(中の家)のおばさんが前に出て、話している最中だった。ほかにもふたりのおばさんがならんで立っている。ふたりは緋の着物を着ていた。何か違和感があると思いながら、でもそれが何かわからないまま、一番後ろに三人でならんで座る。 「このように、帯を後ろで結ぶのがヤマトゥ式です。この際、帯を前で結ぶとか、頭に物をのせて運ぶとか、髪を銀のかんざしで留めるとか、そういう沖縄式は一掃いたしましょう。日本式でまいりましょう。わたしたちは日本人なのですから」
演説を聞いてはっとした。違和感の理由にやっと気づいた。前に立つふたりとも、帯を後ろ
で結んでいたのだ。」
れから九時までの二時間ほどしか電灯がつかないせいなのかはわからなかった。 まいしん 「今、ちょうど復帰運動の中心となって、日々遇進しておられる、高校生も来られ、暗ました。こ こまでの復帰運動の経過について、お話ししていただきます」
沖縄を返還したがらないアメリカの意向に
「ユキが立ちあがると、じゃーじゃは座った。
「みなさん、区長さんがおっしゃるように、今は、日本復帰がなるか、どうかの一大局面です。二島分離、北緯27度半線の分離信託統治は、新聞社の誤報であったことが明らかになり、三町村長の命懸けの日本復帰陳情により、面会した岡崎外相からは27度半で切り離して交渉する意向はない、大島郡全体を一括して返してもらえるよう交渉するつもりだとの言明をいただきましたが、まだまだ油断はならないのです。なにしろ、吉田首相は、三町村長との面会まで、永良部与論が二島分離でこのような騒ぎになっていることを知らず奄美をえんびと読んではばからなかったような状況なのです」
しかし、沖縄への気持ちがあります。
「わたしは言葉を探した。 「何もかも、ヤマトゥ式にしてしまっていいのかな。沖縄は親島なのに、えらぷと与論だけ復帰していいのかな。しかたないって、すませてしまっていいのかな」ナークやじゃーじゃを思いながら、わたしはひとりごとのように呟いた。」
そうしたなかで1953年12月25日のクリスマスに奄美諸島の返還が決り、本土の大学に進学を決める主人公。考えられる子どもたちを育てたいと成長していきます。
「わたしは、鳩間節を踊った日から、夢を抱くようになっていた。 本当のことを学んで、教えられる先生になりたい。それでも自分の考えを絶対だって押しつけるんじゃなくて、こどもたちと一緒に考えられるような先生になりたい。こどもたちが、もう二度と、だれにも騙されることのないように。」
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