SSブログ

タバコはやめられない? [生活]

 

 

「オピニオン  デスク日記

 二十数年来、たばこがやめられない。過去に何度か禁煙にチャレンジしたが、いつも挫折してきた。

 時代も変わり、吸える場所もますます限られ肩身が狭くなる一方だが、喫煙所で同僚と仕事やプライベートのあれこれを話していると、凝り固まった頭が軽くなりリラックスできる。そんなコミュニケーションツールという一面もあり、そう簡単には手放せないのだ。

 数年前から普及してきた電子たばこ。充電など面倒なイメージもあり「電子に変えるくらいならきっぱりやめる」と周りに豪語したのに、気付けば自分も愛用している。

 民間企業の採用では「喫煙者お断り」が拡大しつつある。国立大学も長崎大が同様の方針を打ち出し、大分大も非喫煙者を優先採用するという。先輩に、改元を機に禁煙しよう、と誘われたが結局できないまま。「吸いません」の一言が、なかなか言えずに「すいません」。 (篠倉勇樹)=2019/05/16付 西日本新聞朝刊=」

 

苦闘の様子が伝わってきます。私は40年ほどの喫煙生活に別れを告げられたのは病を得たことにあります。タバコも吸いたくなくなりましたが、ビールも受け付けなくなっって寂しいです。

  

タバコの伝来の話です。

 

「タバコの伝来については、いくつかの説がある。その一つによると、慶長一O年(一六O) ごろ、長崎の「桜の馬場」というところに植えられたのが始まりだという。別の説によれば、 慶長年間(一五九六一六一五)、はじめて薩摩国指宿におめみえした。長崎、鹿児島と場所はちがっても、東海道の始まりとほぼ同時期に、まず九州の地にタバコの種がもたらされた。 そのひろまり方にもいろんな説があって、『薩隈煙草録」といった記録によると、薩摩藩主さんが京都・近衛家に献上したのが山城の花山に根づき、ついで畿内から全国にひろがったという。 いかにもありそうなことに思えるが、薩摩タバコが京都の近衛家で付加価値をつけようとしたのかもしれない。むしろ各地の夕、パコの由来記のほうが、ひろがり方の特徴を示している。

相模国秦野は「秦野タバコ」で名が通っていたが、当地出身の廻国修行者が肥前より種子を

持ち帰ったのが始まりだそうだ。「松川タバコ」の産地、福島県松川に伝わるところによると、当地の延福寺という寺に薩摩の禅僧が訪れたとき、手土産としてタバコの種をもたらした。」(「『東海道ふたり旅』池内 紀」)

 


nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。