茶碗を割る [高齢者]
4月の下旬に福岡県内で最高温度が29度あった日がありました。これだとかけ蒲団をどうするか迷う。
梯 久美子『好きになった人』にこんなエピソードがあります。
「いちばん古い記憶
もっとも古い記憶は、ご飯茶碗が誰かの手からすべり落ち、かちゃんと割れる情景である。不思議なのは、その場所が台所やリビングではなく、玄関の三和土であることだ。
この記憶は、中学生くらいまで、ふとした折に映画のワンシーンのようによみがえってきたしどんな状況だったのかが分かったのは、大学生になってからである。 たま母にこの話をしたら、びっくりした顔で「へえ、あんた憶えているの」三歳の頃、近所のおない年の男の子が肺炎で亡くなった(略)
「儀式みたいなものね。子どものお葬式には、 そういう慣習があった(略)
ずいぶん後になって、民俗学関係の本で、この風習のことに触れている記述を見つけた。出棺のときに玄関でご飯茶碗を割るのは、故人の魂が行き迷って家に戻ってこないようにするためで、子どもの葬式に限らないようである。ここにはもうお前の食べる飯はないよ、だから迷わず成仏しなさい、と死者に言い聞かせる儀式ということ なのだろうか。
Mちゃんと遊んだことは、まったく憶えていない。けれども、茶碗が三和土に落ちて割れる映像は、長いこと日に焼きついていた。葬式の情景は、子どもの心に、大人が考えるよりずっと強烈な印象を残す。」
全国的な風習のようですが、この地域では葬儀場ではあまり見ません。父が亡くなったときに姉の家での葬儀でしたので茶碗を割るように指示されました。その後も、いくつも葬儀にでましたが、そうした光景に遭いませんでした。地域差もあるのでしょうか。
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