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「不死身の特攻兵」 [平和]

 

 

「不死身の特攻兵」を読んだときに「ウソ」ではないかと思いました。特攻は敵艦に突撃したものだと思い込んでいたからです。9度も出撃し、その都度帰還した人がいたのです。そう思い込ませたものは特攻兵の話を美化したものが私の意識に沁みこんでいたのだと思います。佐々木さんは突撃して戦死したものとして扱われ、靖国に祀るように報告されているからと何度も出撃を命じられます。死んでもらわないと軍隊のつじつまが合わないからです。こんな無謀なことを強いるのが戦争の狂気です。

社会が息苦しくなってきています。

 

「オピニオン  風向計

 日本エリートの病巣 編集委員 上別府 保慶

 「福島第1原発事故で日本のエリートのうろたえるさま」に、黒川清さんは深い危機感を覚えたという。原発事故に関する国会の事故調査委員長を務めた東京大名誉教授の医学者。委員長の辞令を受けた日が、くしくも太平洋戦争開戦から70年の12月8日だったことにも因縁を感じた。

 政官財のエリートが保身にかまけて危機への対策をやり過ごした末の原発事故が、かつて日本を無謀な戦争に引きずり込んだ軍官僚や、軍に迎合しなすところのなかった政治家を思い起こさせたのだ。(略)

 黒川さんの憂いに通じるものが、作家・演出家の鴻上尚史さんのノンフィクション「不死身の特攻兵」(講談社現代新書)にもある。一兵士の目を通して日本のエリートに昔からある病巣を突く本だ。

 登場する佐々木友次(ともじ)さんは太平洋戦争時、米軍が制空権を握ったフィリピンへ送られた陸軍伍長。軽爆撃機で特攻に9度も出た。生き残れたのは、熟練の隊長のおかげだ。司令部が功を急いで特攻にこだわるのに納得せず「敵艦へ投弾したら必ず生還せよ」と部下を諭した。

 それでも敵の迎撃は容赦がない。佐々木さんは、隊長や仲間が倒れた後も、隊長が体を張った教えを守り抜いた。

 軍隊でこの抵抗は並大抵のことではできない。ところが「諸君ばかりを死なせはしない」と追い立てたはずの司令官が、突然「出張を命じられた」と飛行機で逃げ去った。「東条英機の腰巾着(こしぎんちゃく)」といわれた冨永恭次中将だった

 鴻上さんは晩年の佐々木さんを北海道に訪ね、思いを記した。東直輝さんの絵で漫画(講談社)にもなり、既に2巻が出ている。

 戦争のことは若い世代には分かりにくい。けれど、そこは漫画ゆえの利がある。日本を考える手掛かりにと願う。 =2019/03/28付 西日本新聞朝刊=」

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