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日の丸が遠くなり [自分史]

 

 

「ニュース川柳

・寄り添うが陛下と首相大違い

・日本の脱退クジラは不安顔 (一部引用)」(201917日西日本新聞)

 

昭和が遠くなったというか、そんなコラムがありました。それで思い出したことがあります。小学校の低学年の昭和20年代、元日の出校日がありました。ネットで検索したら饅頭が配られたとありましたが、私の記憶ではみかんをもらったと思います。また、『1月1日』の歌というのを合唱しました。

歌詞の初めは

「年の始めの 例(ためし)とて

終(おわり)なき世の めでたさを

松竹(まつたけ)たてて 門ごとに

祝(いお)う今日こそ 楽しけれ (以下略)」

 

なんで出校日だったのでしょうか。

 

「コラム 春秋 脚本家の倉本聡さんは戦時中、東京から山形に学童疎開した…

 脚本家の倉本聡さんは戦時中、東京から山形に学童疎開した。誰もが空腹で甘みに飢えた時代。「絵の具は甘い」と発見した者がいた。「ただし原色は毒らしい」。残りもので描いた絵は、緑の飛行機や赤い戦車になったとか

▼けれど、そんな発見をする者こそ尊敬された。学校の成績は関係ない。釣りのうまい奴(やつ)、飛び込みのできる奴、きのこ採りのうまい奴が偉かった、と「昭和からの遺言」(双葉社)に記している

▼年が改まって1週間。年始の風景にも時代の流れを感じる。「お」が薄れていくように。「お正月」がただの「正月」になっていくように。にぎやかさや華やかさは増した。同時に厳かさや、凛(りん)とした風情が消えていく

▼街中では日の丸を掲げる家も減った。出せば、むしろ特別な人かと誤解されかねない。そう書くわが家にも日の丸はない。デパートに行ったとして、どこの売り場にあるのかも分からないありさまだ (以下略)=2019/01/07付 西日本新聞朝刊=」

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