自立を強いられて [障害者福祉]
障害者総合支援法の前は障害者自立支援法でした。自立せろということでその支援だけをするという露骨な悪法でした。今も中身は変わっていません。自立とは依存先を増やすことと対立していくのでしょうか。
「『自立とは依存先を増やすことである』
脳性まひの小児科医である熊谷晋一郎さんは、障害者の自立について興味深い定義をして います。すなわち、「自立とは依存先を増やすことである」と。自立というと、依存を少な くしていきゼロにすることだと思いがちです。しかし、熊谷さんはそうではないといいます。
周りの人から切り離されることではなく、さまざまな依存可能性をうまく使いこなすことこそが、障害者の自立である、と。
私が見えない人に感じる「乗る」ことのうまさは、もしかすると、こうした障害者ならではの生き方と関係しているのかもしれません。いや、熊谷さんが言うように、健常者だって本当はいろいろなものに依存して生きています。自分が口にしている食べ物を育てた人やそれを運んだ人、いま歩いている道を整備した 人など、数えればきりがないほど多くの人に、私たちの生活は依存しています。健常者=自立している人、と思いがちですが、その実態は「自立しているフリ」をしているだけなのです。そう考えると、周囲のサポートをうまく生かしながら生きている障害者とは、むしろ「依存のスペシャリスト」であるといえます。」(『目の見えない人は世界をどう見ているのか』)
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