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盃状穴の正体は [歴史]

 

 

今年の3月に書いたものです。30日の新聞で水城か小水城の門扉と礎石だという。

 

「盃状穴を知る [歴史散歩]

本日の話題は盃状穴です。

散歩していたら大野城市の上大利にある「老松神社」に出ました。「老松神社」の祭神は菅原道真公だそうです。近くには「老松神社」が2か所あります。ここに寄ったのは2度目ですが、今回、「盃状穴」(はいじょうけつ)という手洗い石の説明板に気づきました。

 

「「盃状穴」とは、盃のような形に石を彫りくぼめた小さな穴のことをいいます。古くは旧石器時代の北ヨーロッパの遺跡から発見されています。日本では弥生時代から古墳時代の遺跡で見られることがあります。

盃状穴の性格については、その形が抽象化された女性のシンボルと理解され、新しい生命の芽生え、産物の豊かな実り、また、死者の蘇生を願う呪術的な意味を持つものといわれていまます。

ところで、日本では江戸時代以降でも西日本のかなり広い地域で神社や寺の境内の手洗い石、石灯篭、道端の道しるべなどに同じようなものが彫られていることがあります。これら江戸時代以降の盃状穴の性格は、弥生時代から古墳時代のものとは別のものと考えられますが、神社や寺などに多く見られることから何らかの民間信仰に基づいて作られているものと思われます。しかし、具体的なことについては解明されていません。

上大利老松神社の手洗い石にみられる盃状穴も、この地方の民間信仰に基づいて作られたものと思われます。市内で数件発見されているものの中でも代表的なものです。

平成六年八月一七日

大野城市教員委員会」

 

別の資料よれば上大利を含む下大利一帯は安楽寺天満宮(京都市)の荘園であったそうです。その関係で神社ができたようですが、盃状穴については良く分かっていないようです。

2018-03-19

 

20181030日の西日本新聞の記事です。

 

「城門の礎石と確認 上大利老松神社の石

大野城市教育委員会ふるさと文化財課は29日、同市上大利の上大利老松神社にある石を古代城門の礎石と確認したと発表した。近くに664年築造とされる国特別史跡の「水城」と「小水城」があり、いずれかの掘っ立て柱型式城門に使われた可能性が高いという。

礎石と確認された石(長辺約105センチ、厚さ最大49センチ)は表面に数センチから十数センチの浅い穴(盃状穴)と門扉受け穴(直径19センチ)などがある。これまでに確認された別の掘っ立て柱型式の城門礎石と似ており、識者から「城門礎石に間違いない」とお墨付きを得たという。同課によると、水城跡から過去に7点の礎石(うち城門礎石は6)が確認さ

れている。「今回の城門礎石は水城跡や大野城跡でも最古式とみられる。水域か小水域のどちらかに据えられた可能性が高いが、現時点では不明」としている。(以下略)」

 

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