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ルサンチマンとは知らなかった [貧困]

 

 

漫画家・山本おさむ氏の本で知ったルサンチマンとは「怨恨・憎悪」だという。山本氏が感じたのは小学校の入学式であったという。

 

「事の起こりはランドセルである。 小学校入学のピカピカのランドセルは晴れやかなものだ。私もその日をうきうきと心待ちにしていたのだが、母親はいっこうにランドセルの話をしないし、買ってくれる気配もない。心配になった私がオズオズと尋ねてみると、「靴屋さんに用意してあるから、行ってもらってこい」と言う。私は嫌な予感がした。その靴屋さんは、靴や鞄の修理専門の店で、新品を置いてある店ではない。恐る恐る店に行くと、靴の修理をしていたおじさんは、奥から何やらうす汚れたバッグのような物をポンと投げてよこした。よく見ると、それは古いヨレヨレの変色したランドセルだった。私はわが目を疑った。それは黒でもない、赤でもない、もちろん青でも緑でもない黄土色に変色した、しかしランドセルだった。 私の街は一九五七年に大水害に遭っている。街中が二階まで水につかり、死者五00 名を出した大水害で、私の記憶にもかすかに残っている。このランドセルはその水害に 遭ったものに違いなかった。それでひとまわり縮んで小さくなり、革が黄土色に変色しているのだ。家に持ち帰って、ひび割れた革の表面の塗装をかさぶたをはがすように取 ってみると、赤い色が残っていた。元は赤のランドセルだったのだ。母親とどういうやり取りをしたのか、覚えていない。私はそのランドセルを背負って小学校の入学式に臨 んだ。同級生の顔も、先生や父母たちの顔も、その日のエピソードも全く覚えていない。

ただ拍手の音と火の出るような恥辱感だけが残っている。自分だけが他のみんなとは違う、ということを嫌というほど思い知らされたのだった。ランドセルのことでいじめられたり、からかわれたりした記憶はないのだが、みんなと違うことが何故こんなに屈辱的なのだろう。赤や黒のピカピカしたランドセルを背負った子供たちが大多数を占める学校は、そのときの私にとっての社会そのものだったかもしれない。」(『「どんぐりの家」のデッサン』)

 

私のルサンチマンは小学校の記念写真です。一人だけ学生服が白く写っています。それは兄たちからのお下がりだったからです。繰り返された洗濯で色が落ちていたのです。そのことでいじめがあったりしたわけではないのですが、忘れられない記憶となりましたが、その後、大きな病というか、屈辱が待っているとは想像もしませんでした。

 

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