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「優しさを仕事に」 [支え合う社会]

 

 

NTT東日本関東病院リハビリテーション科の医師稲川利光先生のことを知ったのは脳梗塞になった後にみたリハビリ番組でした。患者の立場をよく理解されていると思ったものでした。次の記事で福岡県の出身だと知り、さらに親しみがわきました。201876日西日本新聞の「原点 「なぜ医者になったの?」 佐藤弘のよか話を聞いたとですよ」で先生らしいエピソードが紹介されています。

 

「夕食を食べていると長女が、「ねえ、お父さんはどうしてお医者さんになったの」と聞いてきました。回り道の末38歳で医師になった親の生き方が、なんとなく気になっていたのでしょう。隣にいる次女も三女も、そしていつも騒いでいる末っ子の長男までも、僕がなんと答えるか、箸を止めてじっと返事を待っていました。

「どう答えようか」。妻に目を向けたのですが、彼女もテーブルの一点を見つめて黙ったまま。私はしばらく考え、口を開きました。「お父さんはねえ、優しさを仕事にしたかったんだ。病気で苦しんでいる人に優しくすることは、そのことが直接その人のためになるなあ、と思って。だからお医者さんを)選んだんだよ」子どもたちはこくりとうなずくと、またご飯を食べだしました。うっすらと笑みを浮かべた家内も一緒に。」(一部引用)

 

さらにこんな話も。

30代半ばの医大生時代に結婚した稲川先生。妻に結婚指輪を買おうと福岡市の新天町商店街ヘ。貧乏学生ですから当然お金はなく、値切るのですが、値札を見て「指輪はいらない。気持ちだけで十分よ」という妻と押し問答に。すると当初「私の権限では安くできない」と渋っていた50歳くらいの店員さんが責任者とかけあい、3万円の指輪を2 8千円にしてくれました。 ドラマは店を出た後。2人を追いかけてきた店員さんが 自分の財布を取り出し「これでうまいもん食べな。俺の気持ちだから」と稲川先生の手に3千円を握らせた・・・。

「子どもたちに優しさを説く私こそ、いろんな人の優しさに支えられて今ここにいるんです」。稲川先生はそう言われていました。(編集委員)」(同前)

 

新天町にこんな店員さんがいたことも感銘しました。先生のプロフィールによれば、「九州大学農学部、九州リハビリテーション大学校理学療法科卒業後、福岡医療団千鳥橋病院リハビリテーションセンター勤務。その後、香川医科大学医学部に入学、」と福岡との関わりが記されています。理学療法士から医師への転身した人生に覚悟をうかがい知ることができました。

 

 

 

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