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背中が見えず [寛容な社会]

 

 

「(声)おやじのせなか 家族養うため夜中に描いた絵は 2018519日朝日新聞

■みんなで語ろう おやじのせなか 83

 疎開していた静岡県富士町(現富士市)から、愛知県の村に住む祖父を頼って移住したのは、私が12歳の時だった。絵描きの父に職はなく、家族5人の暮らしは極貧の底にあった。

 父は村の有力者の弁護士の世話で小学校の図画の教師になった。しかし食べ物はなく、障子を貼る糊(のり)や雑草に醤油(しょうゆ)をかけて食べた。

 父は夜中に、机に向かって何か描いていた。腎臓を病んでいた父は、筆をおいては便所に立った。私はその隙に起きて机上のものを見た。春画だった。

 家にその弁護士が来ては絵を持って行き、お金をおいていく様を、私は窓によじ登って見た。絵は進駐軍が喜んで買ったという。

 父は母にせき立てられて、学校がひけると風呂敷包みを持ってどこかへ出かけた。それが町へ絵を売りに行くのだと知った。村から町へ出るには、一里も歩かねばならなかった。

(以下略)」

 

公務員であった父は給料が安かったのでしょう。私の制服は兄たちからのお下がりで何代目だったのでしょう。小学校の卒業写真ではみんな黒色なのに私はほとんど白に近いものでした。そんな父は浮気を繰り返して子どもを顧みることはほとんどありませんでした。背中を見たと言う記憶がありません。その子の私も同じ道を歩んでいますが

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