矢部川で泳いだ頃 [自分史]
「矢部川治水史遊んで学ぶ
改修に功績の柳川藩士 田尻惣馬
たらいに乗り激流下り気分
九州芸文館筑後市」(2017年7月21日西日本新聞)
という記事を読みました。甦った記憶があります。小学生時代に目の前にあるクリークで泳ぐのが禁止されました。当時の水田に農薬が本格的に使われ始め人体にも影響があるということでしょう。いつでもクリークに飛び込んで泳げる環境がなくなりました。それでも夏休みは暇です。そこで少し離れた矢部川まで泳ぎにいきました。自転車だったと思いますが、帰りには汗をかき、泳ぎの楽しみも半減しました。その頃には、牛馬が農家から消えた時期でもあります。
記事によれば
「筑後地方を代表する河川 の一つである矢部川。普段は静かな清流だが、5年前の九州北部豪雨など、しばしば氾濫を起こす暴れ川でもあった。江戸時代、その矢部川の治水に尽力したのが柳川藩士、田尻惣馬(1678~1760)だ。その働きを題材にしたアートイベント「CHIKUGOARTPOT201 7そうまのたらい展」が、筑後市津島の九州芸文館で開かれている。作品を楽しみながら、惣馬の功績と矢部川の恵みに思いをはせてみた。(床波昌雄)
(略)
展示を見て、惣馬の足跡をたどってみたくなった。九州芸文館から約7・5キロ上流にある八女市立花町の千間土居公園を訪ねた。1695(元禄8)年、滋馬 が父とともに1300阿 (約2・3キロ)にわたるクスノキ林の堤防「千間土居」 を築いた場所だ。 矢部川の水利は古くから 対岸にある久留米藩との争いの元だった。惣馬は久留米藩から苦情が出ないよ う、工事を短期間で終わらせるため、動員した農民を一切休ませなかったことか ら「鬼奉行」と恐れられた という。「木六、竹八、ヨシ九月、惣馬の首は今が切りどき」。恨んだ農民は
こう歌ったと伝わる。当時の農民が苦労して植えたクスノキ林は300年「を経た今も地域を守り続け、川の水は流域の広大な田畑を潤している。九州が再び豪雨に見舞われた今夏九地域のためにと、増水の川をはんぎりで下った「鬼」の姿を思い浮かべた。
そーまのたらい展
8月27日まで、筑後市津島 の九州芸文館。旧八女郡役所(八女市)やうなぎの寝床(同)、ホテルM E I J I K A N J (筑 後市)などのサテライト会場もあり、羽犬の手押 し車を押しながら街をめぐり、スタンプを集める とオリジナルミニカーがもらえる。いずれの会場 も入場無料。8月6日には田尻惣馬ゆかりの地を 訪ねるパスツアーを開く(大人3000円、高校生以下,1000円) 九州芸文館=0942 (52) 64350」
会場は筑後船小屋駅そばで新幹線・在来線でも。隣にはホークスのファーム施設があります。
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