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日野原さんに感謝

 

 

私の父と同年産まれ、母とは1歳違いです。それだけでも長寿の程度が分かります。日野原さんとは何の関係がなく、僭越ながら存在そのものが力を与えてくれます。出会いは朝日新聞の土曜版の連載からです。多方面な活躍の姿が力を与えてくれました。老人となった今、生涯現役は厳しいものだと痛感しています。

 

「日野原さんが力をくれた 「新老人の会」社会貢献呼びかけ

2017719日毎日新聞

 

 医師として「生涯現役」を貫いた日野原重明さんが18日、105歳で亡くなった。90歳を過ぎても執筆や講演で飛び回り、「新しい高齢者像」を体現した。その生き方は、多くの人々に影響を与えた。

 晩年になっても精力的に活動する日野原さんは「スーパー高齢者」として、シニア世代に力を与えた。

 2000年9月には、高齢者が自立して社会貢献をしていくことを広げるため、「新老人の会」を立ち上げた。理念に賛同する会員は現在、約8千人を数え、全国で46支部にまで広がった。

 熊本支部では6年前、活動の一環で「ジョン万次郎」の演劇を上演した。熊本支部世話人代表で医師の小山和作さん(84)は「『高齢者にそんなことできない』という会員もいたが、結果は大盛況。高齢者でもお世話になるばかりではなく、社会貢献できるのだと学んだ」と振り返る。

 出演者や裏方など参加者は総勢100人、平均年齢は78歳だった。日野原さん自身もジョン万次郎役として出演。「米国に行って、公演したいくらいだ」と、劇の出来栄えを喜んでいたという。

 シニア専門の人材派遣をする「高齢社」の創業者、上田研二さん(79)も影響を受けた一人だ。「高齢者にとって、働くことは生きがいにつながる。日野原さんの生き方は、会社の理念にも通じる。これからも高齢者に生きがいを提供し続けられる会社でありたい」と話した。

 声楽家の池田美保さん(44)は、日野原さんが90歳を過ぎてから講演や対談などで活動をともにしてきた。今年に入って一度体調を崩し、持ち直したとき、舌をぺろっと出して「俺は死なないよ」と笑った姿が目に焼き付いている。

 最後に会ったのは2週間前。自宅で「ほぼ1人で2時間しゃべりっぱなしでした」。便を毎日、携帯電話で撮り、自ら健康状態を診ていたという。講演会でよく歌った「ふるさと」を池田さんがピアノでひくと、指揮する時のように手を振り上げて笑っていた。最後は天ぷらを食べる約束をして別れた。

 「働くことも食べることも決して諦めずにやり抜く。最後の最後まで、バイタリティーに満ちていました」(以下略)」

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