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良き死とは [高齢者]

 

 

「死生学」という学問があるそうです。老いがくれば死はそんなに遠くありません。水俣病で活躍した原田正純先生が亡くなられて5年経つという報道がありました。そんなになるとは思えなかった。あるシンポジウムで拝見したのが最初で最後でした。5年後原田氏の業績を受け継ぐ人たちが活躍しているという。これなどは「良き死」なのでしょうか。

 

「『良き死の条件』はどう生きたか 二ノ坂保喜先生

私が福岡市で在宅医療中心の 「にのさかクリニック」を聞いて21年、在宅でみとった方は8 00人を超えます。それぞれの生き方、逝き方に思い出が残っています。(略)

西津さんの場合、自らの両親をホスビス病棟でみとった貴美子さんの、義父の思いを尊重したいという気持ちが強かった ようです。私たち在宅ケアチームは、患者が病気になって初めて出会います。だからこそ、それまでどのような人生を生きてきたのだろうと、本人のたたずまいや話しぶりなどからいろいろなことを読み取り、家族関係を想像します。西津さんには、新聞記者 としての人生、仲間から慕われる人柄、家族との絆が垣間見えました。 西津さんは在宅ホスピスが始 まって2カ月ほど、抗がん剤治 療を続けました。次第に効果が なくなり、副作用が強くなった ため、家族が主治医に抗がん剤 中止を申し出、主治医も快く受け入れてくれました。 在宅ホスピスには不思議な力があると、私は感じます。徐々に体力が低下し、トイレに行くのもやっとの西津さんでしたが、134月末の小中学校の同窓会に苦労して参加した後、驚くほど元気になりました。ゴールデンウィークには家族と大分・九重にドライブに出掛け、バーベキューを楽しみました。西津さんは「今こそ人生のゴールデンウィーク」と言っていました。(以下略) (にのさかクリニック院長、福岡市)」(201768日西日本新聞)

 

どう生きたかと問われるとたじろぎます。良き死とは無縁なのかもしれませんが。

 

「核兵器禁止条約交渉 長崎市長ら参加要請 岸田外相は拒否

田上富久長崎市長と松井一実広島市長は7日、外務省に岸田文雄外相を訪れ、 国連本部で15日から始まる核兵器禁止条約の第2回制定交渉に参加するよう求める要請文を提出した。田上氏は要請後、記者団に「日本が参加しなければ、核兵器のない世界を実現する大きなチャンスを失うことに なる」と話した。 日本政府は、米国、ロシ アなど核保有五大国が参加しない条約交渉を「核兵器国と非核兵器国の対立をさらに深め、核兵器のない世界を遠ざける」として3月に不参加を表明。岸田氏は要請に対し、あらためて出席しない考えを伝え た。松井氏は記者団に「われわれの思いが届くような対応をしてほしい」と述 べた。 要請文は「被爆者の思い を真撃に受け止め、核保有国と非核保有国の橋渡し役を果たすため、勇気を持って参加するよう求める」などと訴えている。(山口卓)」(同前)

 

 

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