目が見えないこと [障がい者問題]
「花時計
月初めに段ボール箱1 箱分の食品が会社の私宛てに届く。レンジで調理できるご飯やカレー、中華井・・・。私はそれを、ある高校に宛てて送り直 す。今月で12回目。貧しい生徒に食べ物を配っている高校を匿名で紹介した昨年2月の記事を読み、1年間送り続けてく
れた。名も知らぬ高校の、名も知らぬ生徒のために▽送り主の永野亮一さん (43)=太刀洗町=に先日会いに行った。「中学のとき、一番安い指定靴しか買ってもらえないだけで恥ずかしかった。多感な時期にどんな気持ちで、と気になって・・・」。小さな建築会社を始めたばかりというから月1万円の出費は小さくはないだろう▽高校の教師からお礼の電話があるたびに、私はメールで永野さんに報告する。心を温かくしてくれる月に1度の橋渡しである。(下崎千加)」(2017年3月15日西日本新聞)
目が見えないということを理解するのに参考になると思います。点字新聞を発行しているからこその視点だと思いました。
「目が見えない人と歩く=三角真理(点字毎日)毎日新聞2017年3月9日
◆三角(みすみ)真理
リラックスした関係で
「点字毎日(点毎)」は、大阪に編集部がある視覚障害者のための点字新聞だ。編集長になって1年になる。目の見えない人たちと毎日を過ごすようになり、「歩くこと」「話すこと」などごく普通の行いにドキドキしたり、うれしくなったりしている。そして、人との交流って本来こうだったはずと気付かされる。
いつもあいさつ 交流の手がかり
「おはようございます!」。点毎ではあいさつが100%交わされる。1年前、こんなことにびっくりした。それまでの記者生活ではあいさつはほとんどなかった。忙しい、パソコンに集中している、そんな姿を示すかのように。点毎は違う。昼休みには「お昼行ってきまーす」。いつも声がある。気持ちがいい。
同僚に全盲の佐木理人(あやと)記者(43)がいる。彼はこんなやりとりを聞いて、編集部の他の12人のうち、だれが今職場にいるかを把握している。点毎ではこうしたことを考えて、いつからか浸透したようだ。
目が見えない人たちとの会合などに行っても、同じことを感じる。「こんにちは、三角です。右斜め後ろの席にいます」。相手は声を頼りに向き直り、「こんにちは。三角さん」と返してくれる。確かなやりとりに喜びを感じる。見える人との間では、名刺交換が交流の証しで、その枚数が人間関係の広がりのような錯覚に陥っていた。
点毎のお昼。部員は毎日順番に彼とお昼に行く。彼に自分の腕をもってもらう「手引き」という案内方法で。
昨年4月、私に初めての番が回ってきた。緊張した。彼の左手が、私の右腕に触れる。その直後「肘は曲げないでいいですよ。楽にしてもらって」と言われた。びっくりした。注意されるとは思っていなかったからだ。私の役割は、周囲に気をつけて歩くこと。力が入っていると、どういう問題があるのだろう。小さなひっかかりを感じた。
今年1月、佐木記者の東京出張に同行した。介助について知りたいと思った。
初めての社外での手引きだった。会社を出てすぐ、彼が言った。「助かります」。まだ何もしていない。なぜ、ありがたがられるのかわからなかった。でも、同行者がいることはそれほど「助かること」なのかと感じた。がぜん、やる気になった。役に立つってうれしいことなのだ。
彼が理由を言った。「“早い”ですから。一人なら20分ほど早めに出ます」。彼は一人でも白杖(はくじょう)を使って東京へ取材に行く。だが地元の大阪でも、駅では駅員さんに誘導を依頼する。慎重を期してだ。ただ、改札で誘導を依頼してから20分ぐらい待つこともあるという。「忙しいんですよね」。不平ではなく、ため息だった。彼の通勤の様子も見た。なぜ会社と反対へ?と思うときがあった。点字ブロックがそちらに誘導していたからだ。同行者がいれば安心と早さを得られる。
(以下略)」
続けて
「結局、社外での手引きは人混みとキャリーバッグの大海原で、的確な言葉を考える余裕はなかった。周りの状況をしゃべり続けた。「あと10メートルで改札」「はい」「人混みなので左へ」「はい」。この「はい」が私の力になった。伝わっていると思えたからだ」としています。だが、どこまで手伝うのかと判断が難しいようです。私たちがどう接していいのか、迷うところもそこだと思います。音楽の鳴らない信号機でいつ渡れるか待っている視覚障害者がいました。私は渡り切ったところで「今 青ですよ」と声をかけました。でも、信号が変われば危なかったかもしれません。今年、電車の乗り口をさがす視覚障害者と遭遇。そのときは、体に触れて「こっちですよ」としましたが驚かれたかもしれません。もっと触れ合う機会が増えないといけないのかもしれません。
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