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下町では 葬式もにぎやかに [街で]

 

 

「署名3万7563人分提出 反原発8団体、佐賀県に 玄海原発再稼働巡り20170217日西日本新聞」。意思表示することが大切な時代のように思います。

 

小椋佳さんの育った環境の話です。 

 

「私だけの東京・2020に語り継ぐ

シンガー・ソングライター 小椋佳さん 権威なんか しゃらくせえ

毎日新聞2017215

 僕は東黒門町(東京都台東区上野)の料理屋の長男で30代末まであの辺に住んでいました。その後は山の手に暮らしていますが、上野の辺りが突然懐かしくなることがありますね。(略)

そんな育ちだから僕も町人かたぎで、権威なんかしゃらくせえってところありますね。お袋の気質を受け継いだのか、ミュージカル公演でも何でも、損を考えずお金をぱっと使っちゃうところもありますから。

東京大の法学部を出て銀行に入ったのは、官僚なんかって思ってたからです。地方出身の同級生には、天下国家を動かす人間になってみせるなんてのが結構いたけど、そういうこと言われると白けちゃうんですよ。

サラリーマンだって、うちの料理屋に宴会に来て、社長とか上に立つ連中が威張っているの見ると、ばかばかしくて。偉くもないのに偉ぶりたいんだなって。そういう人が裏に回って白紙の領収書くれっていうんですから、なんだこれ?と。

だから、父も母も政治家、官僚、サラリーマンが大嫌いでした。でも、僕は銀行のサラリーマンになっちゃって。オヤジは「お前、サラリーマンになるの? 俺も昔『赤字銀行』に3カ月勤めて辞めたけど、お前、もつわけないよ」って。赤字銀行なんて、うそですよ。お袋も僕の勤め先なんてどうでもいいって感じで。

お袋が59歳で糖尿で亡くなった時、僕はアメリカに留学中で死に目に会えませんでした。しばらくして帰国し、お骨納めをしたんです。近所の人が集まって「(母の名)トクちゃん、にぎやかなのが好きだから」って宴会を催してくれ、酔っ払って皆で墓に向かいました。山の手じゃ考えられないですね。【聞き手・藤原章生、写真・藤井太郎】」

 

博多の町人の葬式もかつては、つらい人生に別れたのだから「めでたい」と祝ったという話を聞いたことがあります。真偽は分かりませんが・・・。小椋佳さんの生き方を支えているのでしょうか。

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