死が怖い医学生 [支え合う社会]
「(悩みのるつぼ)医学生ですが死が怖いです 2014年5月31日朝日新聞
■相談者:医学部3年生 20代
■回答者:評論家 岡田斗司夫
〈相談〉
現在、私はある地方大学医学部の3年生で、将来は子どもを心身ともにケアできる優しい小児科医になりたいと思っています。しかし、実習や研修、仕事で避けることのできない「死」が怖くて仕方ありません。
人間が死を恐れるのは当然かもしれませんが、小学生の頃から、死ぬことを考えると、とても恐ろしい気分になります。いつか自分の体が骨となり意識もなくなると想像すると、恐怖で叫び出したくなるほどです。中高生のときお世話になった病院の先生に憧れて医師を目指したのですが、医師になれば生死を少しは理解できるのではないかとも考えました。
実際、医学の勉強を始めてから死に対する意識は少し変わり、「人は死後も後の世代に影響を残すことができる」と今
は考えています。自分が死ぬまでに、病気の子どもたちにできるだけ良いことをしたい、と思い至るようになりました。
今は友人と必死に実習や勉強をして、試験後は思いきり遊ぶという生活を満喫し、大学にいれば死の恐怖にとらわれることはありません。家に独りでいるふとした瞬間のみ、そういった恐怖を感じます。このままでは将来、余命の短い患者さんを受け持ったとき、その人の死に向き合うより自分の死を恐れてしまう気がして心配です。何かいい心の整理方法はありますでしょうか。」
茨木のり子さんの作品に「答」というのがあります。
「答
ばばさま
ばばさま
今までで
ばばさまが一番幸せだったのは
いつだった?
十四歳の私は突然祖母に問いかけた
ひどくさびしそうに見えた日に
来しかたを振りかえり
ゆっくり思いめぐらすと思いきや
祖母の答は間髪を入れずだった
「火鉢のまわりに子供たちを坐らせて
かきもちを焼いてやったとき」
ふぶく夕
雪女のあらわれそうな夜
ほのかなランプのもとに五、六人
膝をそろえ火鉢をかこんで坐っていた
その子らのなかに私の母もいたのだろう
ながくながく準備されてきたような
問われることを待っていたような
あまりにも具体的な
答の迅さに驚いて
あれから五十年
ひとびとはみな
掻き消すように居なくなり
私の胸のなかでだけ
ときおりさざめく
つつましい団欒 」
人びとはかき消すようにいなくなるのではという。死後も影響を残すというのはどうでしょうか。どこか独裁者の発想を感じさせます。もちろん、そんなこととは遠いことでしょうが、死は予測できないところから攻めてくることがあります。死ぬことより、今日の1日ではないかと思ったのですが・・。でも、回答にはなっていません。
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