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特別史跡水城跡「100年ぶりの土塁断面発掘調査」説明会に行く [歴史散歩]




663年 朝鮮半島の白村江の戦いに敗れた日本は、大宰府政庁などの防御のために、朝鮮式山城、大野城と基肄城をつくり、664年に巨大な防塁に水を貯める施設・水城を作ったとされています。今年度が築造から1350年ということで、土塁の内部構造の調査結果を公開しました。6月1日と8月に公開するとありましたが、沢山の人出と暑さで早々に引き揚げてきました。以前も、発掘の一部を見たことがありますが、今回の調査で、土塁上部が大宰府側が低くなるように傾斜しており、土塁を安定させるためではないかと述べられています。続いて報告書によると

「〔土塁最下部〕
火山灰起源とみられる黒色土の下位では、厚さO.3m程度の青灰色や灰白
色粘質土を互層に積んでいます。そして最下部の青灰色や白色粘質土から敷粗朶を確認しました。敷粗朶は3層程度埋設されていますが、密な状態では ありませんでした。

腐食が進むものもありましたが、当時の緑色を残す葉も検出され、樹種分 析の結果、シイ属ツブラジイ、アワブキ属などであることが同定されました。

以上のことから、白村江(はくそんこう)の戦い大敗後の対外的緊張感が高 まる中で、周辺に分布する自然の土を用いながら、現代の土木技術をもってし でも大変難易度の高い構造物を様々な技術を駆使して築造していった様子が浮 かび上がり、1350年前の技術レベルの高さを窺い知ることが出来ました。」

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九州歴史資料館資料から
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水城断面.jpg
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