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安心感や信頼感のある社会 [支え合う社会]

 

 

田舎の同級生からの電話ですと、15歳過ぎの犬が出ていって戻ってこないという。ウチも同じようなことがありましたが、かろうじて見つけることかできました。家に戻ることができなくなりますね。人間でも、認知症の人がどこかで保護されてNHKの放送で分かったという報道がありましたが、テレビの役割かもしれませんね。我が家の老犬は日長寝ていますが、食事しても食べたのを忘れているのか、満腹感がないのか、立ち尽くして餌をねだります。

 

「ともに生きようとする倫理観・平和な一生とげられる社会」(201459日西日本新聞)で、内山節 立教大学院教授は次のように述べています。

 

「よりよい社会とは何かを定義するなら、それは安心感や信頼感のある社会のことなのだと思う。もっとも大事なのは平和であり、平和のなかには戦争の可能性がないことだけではなく、生命が脅かされない社会であることも含まれる。放射能の危険性を感じながら生きる社会、環境の悪化や食品の安全性に不安を感じるような社会は、平和な社会とはいえない。安心感のある社会とは、この社会のなかにいれば誰もが生きていけるという、信頼感のある社会のことなのである。そのためには、ともに生きようとする倫理観が必要なはずである。

現在の日本の社会は、この安心感や信頼感を失いつつあるようにみえる。倫理観のない、すさんだ社会が広がっているといってもよい。とすると倫理観はどこから生まれるのであろうか。それは、ともに生きようとする結び合いのなかから芽生えるものであって、国が教えるようなものではない。(略)」

 

生命が脅かされない社会になっているでしょうか。戦争ができる国だけでなく、地震や原発など不安材料はいくつもあります。

内山氏は続けます。

 

「今日の日本では、ともに生きようとする結び合いが壊れてしまっているのである。だから社会を支えているはずのさまざまな倫理観も消えてきて、それが信頼感や安心感のない社会を生みだしている。原発被害者とともに生きようとすることより、原発再稼働に遁進する社会からは、倫理観など芽生えてくるはずもない。少し前までは普通に使われていた「弱者の立場に立って考える」という言葉さえ、いまでは消えてしまったかのようだ。ともに生きようとする倫
理観がなくなってしまえば、個
人の論理や組織の論理が社会を
引っかき回し、他者への配慮を
もたない自己主張が横行するよ
うになる。そしてその態度は、
国内だけではなく諸外国に対しても向けられるようになる。

およそ200年前に活躍したドイツの将軍クラウゼヴィッツは、有名な「戦争論」のなかで、

戦争は対外的な関係から発生するのではなく、国内的要因によって起こると述べている。」

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弱者の立場でない人たちが増えているように感じるのですが

 


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