忘れていた平和のバラ [平和]
今朝の西日本新聞投書を読んで、私の記憶の風化の早さにたじろぎました。次の投書をまずご覧ください。
「バラに込めた平和への願い「カズエ」というバラの品種をご存じだろうか。私は毎年9 月になると薄紅の花弁を思い出す。昭和52年9 月、厚木基地を出た米軍機が横浜米市の住宅に墜落した。家は大炎上し、家にいた主婦、和枝さんと幼子2 人は大やけどをおう。3 歳の長男は「お水をちょうだい」と言いながでら間もなく亡くなった。げ1 歳の次男も懸命に生きかようと闘ったが、兄の後を追うように息を引きとった。和枝さんも壮絶な闘病の末、昭和57 年1 月、力尽き愛児たちの元へ旅立っていった。花店を営んでいた和枝さんの父親は、悲劇をくり返さないようにとの願いを込め、バラの新種を作り、その花に「カズエ」と名付けた。米軍基地は地域経済に利潤をもたらす半面、市民を犠牲にした事件、事故もある。日米安保を考えるとき、重要な教訓として絶対忘れてはならない事件だと思う。」調べてみると少し前の東京新聞の記事には次のように
伝えられています。「=平和のバラ“枯らさないで”=
―横浜・米軍機墜落3人死亡 託した遺族の願い―
―園芸場ピンチ「遺志継いで」訴え―
横浜市青葉区(当時緑区)で31年前、米軍機が墜落して土志田和枝さん=当時(31)=ら母子三人が死亡した事故で、悲劇を忘れまいと遺族が願いを託した新種のバラ「カズエ」。地元民間非営利団体(NPO)「のむぎ地域教育文化センター」が“平和のバラ”として苗木を増やしてきたが、資金難からバラ園存続が危うくなっている。関係者は「平和への願いを引き継いで」と協力を呼び掛けている」
http://www.nomugi.com/index2.html
当時、この事故について、いろいろと語り合った記憶があります。時間が過ぎて私の中では消え去っていたようですが、受け継いだ人たちがいることに感銘を受けました。こうした、ひとつひとつの積み重ねが平和の砦になるりだろうと再確認しました。
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