SSブログ

国民をしばる「自己責任論」 [自己責任論]

 先日、テレビで、有名な司会者が「ネットカフェ難民」支援策に関連して、「仕事などさがせばどこにでもあるのに」とコメントした。仕事があっても暮らせない人たちがいることはまだ知られていない。この国では、貧困問題は知らせず、調べようともせず、貧困であることは、努力しない個人の責任だと繰り返し語られてきた。ワーキングプアは注目されているが、どの国にもある格差だとされ、貧困の問題になっていないことも示している。そして、その理解を妨げているのが自己責任論という強固な意識でもある。
職場ではどうなっているだろうか。私が労働組合員であった頃、組合に所属したものは管理職には登用しないという話が流れると、脱退者が続き、瞬く間に組織率が2割程度に落ち込みました。同時に、派遣社員を含めた非正規労働者が増えていった。だが、労働組合も非正規労働者の組織化に成功しなかった。賃金が低い中で、正社員と同じ組合費を払っても、得られるものはないというのが主な理由だった。この一連の流れは、労働運動の再編問題ともからみ、非正規社員が大量に生まれ、多くの貧困層を産み出していった。これだけ企業に都合の良い仕組みが易々と実現したのは、労働組合の衰退とリンクしているが、貧困問題が可視化されず、派遣社員の問題が社会問題にならない背景には、国民の中にある意識の問題とも結びついている。10月号の特集は「労働、社会保障政策の転換を」ともあるように、単なる仕組みだけでなく、国民の意識にも迫るものとして期待して読んだ。
 私は、障がい者福祉に関わっているが、この分野でも「自己責任論」が大手を振っている。障害者自立支援法では、応益負担が問題だと書くと、「障がい者だからといって甘えるな」という言葉がいつも返ってくる。国民も負担しているのだから、障がい者も負担すべきだという単純な論法なのに支持される。それは、「痛みに耐えろ」と言った首相の言葉に熱狂した人たちを想像させる。障がい者の収入が他の国民と同じレベルであれば成り立つ議論なのに、そこは無視される。
障害者自立支援法は当初の法案名称に「給付」という名前があった。その背景は「負担なければ給付なし」という保険主義の考え方が強く、「給付」は削除されたが、考え方は残った。当時の厚生労働省局長は国会で「サービスは買うものだと、みんなが買う主体になると」ということだと国会で述べた。買えないと思った人たちの何人かは心中事件を起こした。さらに、障害者自立支援法では事業所への報酬が大幅に切り下げられ、賃金ダウン、非正規雇用が増加するなど、非正規雇用の増加を国が政策的に誘導した結果となった。 
このように、「自己責任論」が蔓延している中で、高齢者介護も家庭の責任にされてしまう可能性が高い。根気よく、事実を知らせる努力が必要だと痛感している。
雑誌『世界』11月号

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

すごい感性これからも闘いが ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。