すごい感性 [障害者福祉]
私が住む町と同じところに住む高校生の朝日新聞への投書です。このような感性というのはもって生まれたものなのでしょうか。長く生きただけの私にはありません。様々な思惑の中にあっても、人のつながりとは基本的にはこうした交流の中にあるのかもしれませんね。
私には目の見えない友達がいる。昔からではなく、軽い事故に遭ってからどんどん視力が弱くなっていったのだ。ついに見えなくなって苦しんでいるその子に、非力な私は何も言ってあげられなかった。私にできることは何か考え、時間の許す限りはその子のそばにいることにした。何年か過ぎたある日。いつものように学校や帰り道などであった面白い
心が救われたうれしい言葉出来事を話している時、私は一つの重大なことに気付いてしまった。私が話すことに対して、その子は「すごいね」「どうだった?」などと言ってくれるが,「してみたいな」「行ってみたいな」というようなことは一度も言わない。私はとても後悔した。自分は話すだけ話して自己満足、友達の気持ちを考えていなかったのだ。私は即座に謝った。するとその子は「全然気にしてないよ。私いつも楽しみにして待ってるんだ」と言ってくれたのだ。ほぼ毎日のとりとめもない私の話を楽しみと言ってくれる友達。
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