原発とは何か [原発]
昨日放送された「タイムスクープハンター」では、大正時代に女子選手がいたことが取り上げられていました。元祖「なでしこ」は二人いたという。当時、あまり知られていなかった、そして、女性がやるというのもほとんどなかった時代に、四国・丸亀で彼女たちはなじんだという。それは、当時、丸亀に捕虜としていたドイツ兵との遊びの中で上達という。西日本新聞でも第一次世界大戦と捕虜のことが連載されましたが、外出の自由などもあり、結構自由だったという。日本としてはハーグ条約を守ることで、先進国の仲間入りを狙ったとも言う。第一次世界大戦から100年。
この番組は不定期ですが、時間が23時30分になっています。視聴率が低いのでしょうか。録画で観ています。
原発の判決文は読んでいませんでした。
「原発論議の本質突く判決文
新聞記者になって15年。毎朝、 6、7紙の新聞を読み比べ続けてきた。政治課題について、各紙の 論調に違いがあるのは当然だ。だが、第2次安倍晋三政権の今ほど、さまざまなテーマで各紙の賛否が割れる時を私は知らない。特定秘密保護法、首相の靖国神社参拝、集団的自衛権。そして、原発の再稼働も真っ二つに割れている。関西電力大飯原発3、4号機の運転差し止めを命じた21日の福井地裁判決も、程度の差はあれ、全国紙とブロック紙では支持する朝日、毎日、東京、北海道、西日本と、批判的な産経、読売、日経で、同じ判決を報じているのかと目を疑うほど評価が違った。
その判決文を読みながら、私は次の二つの文章にうなった。人格権が極めて広範囲に奪われる事態を招くのは自然災害と戦争以外では原発事故しか想定しにくいという前提に立った上で、こう断じた。
「被告(関電〉原発稼働が電力供給の安定性、コストの低減につながると主張するが、極めて多数の人の生存そのものに関わる権利と電気代の高い低いという問題を並べて論じるような議論に加わり、当否を判断すること自体、法的には許されない」 「コストの問題に関連して、国富の流出や喪失の議論があるが、たとえ原発停止で多額の貿易赤字が出るとしても、これを国富の流 出や喪失というべきではなく、豊かな国土と、そこに国民が根を下 ろして生活していることが国富であり、これを取り戻せなくなることが国富の喪失だ」 法律論というより感情論だと再稼働に賛成の新聞は批判し、「共感が広がっている」と反対の新聞社は持ち上げた。私は、この二つの文章が再稼働をめぐる賛否の議論の核心を突き、一人一人が考えることで、議論が深まるきっかけを与えてくれていると思う。
鹿児島県の九州電力川内原発と、佐賀県の同玄海原発を中心に、判決で原告としての訴えが認められた半径250キロの二つの円を描くと、九州本土は全域がすっぽり入ってしまう。自分の問題として考えたい。(坂本信博)」(2014年5月25日西日本新聞)
判決文の要旨によると冒頭に近い所で次のように述べています。
「個人の生命、身体、精神及び生活に関する利益は、各人の人格に本質的なものであって、その総体が人格権であるということができる。人格権は憲法上の権利であり(13条、25条)、また人の生命を基礎とするものであるがゆえに、我が国の法制下においてはこれを超える価値を他に見出すことはできない。したがって、この人格権とりわけ生命を守り生活を維持するという人格権の根幹部分に対する具体的侵害のおそれがあるときは、人格権そのものに基づいて侵害行為の差止めを請求できることになる。人格権は各個人に由来するものであるが、その侵害形態が多数人の人格権を同時に侵害する性質を有するとき、その差止めの要請が強く働くのは理の当然である。」
すべてを失うものが、電気料金や経済活動より下位のものだということを明快に示しています。