世間を考える [生活]
不祥事が発生した場合に記者会見があります。会見する理由として「世間をお騒がせしました」というが「社会をお騒がせして」とは言わないと下記の本に記されていました。世間という曖昧なものが「自粛警察」として活躍を始めたという。盆の里帰りをした人に「この時期に」帰ってきてと、非難したことが書かれていたという報道がありました。似たようなことがあったので『自粛警察』という言葉も使われるようになったのでしょうか。
「『社会改革』はあっても『世間改革』などありえません。世間は変えることができないわけですから、不満があっても『世間』とおりあいをつけてなんとかやっていくほかはない。みんなが自分を押し殺して『世間』に従っているのだから、好き勝手なことをしている者は周囲から非常な反感をもたれてしまう。『世間』とは、『出る杭は打たれる』世界です。誰かが好き勝手なことをはじめないように相互に監視しあう。しかし『和』を重んじる『世間』のなかでは『出る杭』をみつけても公然と批判することははばかられる。そこでこそこそと陰口をきく」(『ジェラシーが支配する国』)
こう言われると、世間は永遠に変わらないことになります。人を罵るだけとは寂しい気がする。なんとか立ち直る道はないものか。
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