物語があるのは [生活]
先月、ガスをやめて電気だけにしました。灯油ボイラーを使っていましたが、灯油の買い出し、給油がしんどくなってきたと妻が言うし、私の腕では力になりません。巡回油屋さんもいますが。他に、ガス管の引き込み部分も取り替えなくてはならないということで、20万円以上の負担が必要だということなどがありました。IHヒーター用の鍋などの取り換えは必要でしたが、とりあえずは順調です。料金などがどの程度になるかが問題ですが。
「幸福な家族はどれも似通っているが、不幸な家族は不幸のあり方がそれぞれ異なっている。」というトルストイの言葉があります。
「自分はなぜこんなに不幸なんだろう、と問う人と、なぜこんなに幸福なんだろう、 と問う人とどちらが多いかといえば、たぶん前者の方が多いだろう。なぜ、という問いは、現状の何かが好ましくないときに生まれる。人間、たいていの場合、現状の何かが好ましくないのだ。 なぜ、という問いに答えを与えようとして人は物語をつくる。幸せのなかに物語は ない。「二人はいつまでも幸せに暮らしました」でおしまい。不幸のなかにこそ、物語はある。
そのことを僕が実感するのは、横浜DeNAベイスターズが負けたときである。ベイスターズが勝つと、なぜ勝ったんだ、とは問わない。かならずしも強いチームではないので問うことにある程度の妥当性はあるのかもしれないが、とにかく問わない。」(「『柴田元幸ベストエッセイ』柴田元幸」)
ソフトバンクホークスが勝った日は、テレビのスポーツニュースを2局は最低見ます。負けた日は、あそこで打ってくれたら、ピッチャー交代が遅かったなど悔やみが出てきますので見ません。物語があるのは「ポツンと一軒家」です。そこに住み続ける理由がある。どうしてもここに住み続けたいという強い理由はない。手頃な価格だったり、通勤に便利だったりはありますが、「ポツンと一軒家」の人たちのように強い意志がありません。。そのことが私たちを引き付けるのかもしれないと思うのですが。
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