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大宰府政庁跡が [歴史]

 

 

元気な頃は、政庁跡まで歩いていた。広い空間に桜の時季の空間が心地よい。子どもたちがどれだけ走り回ろうと遮るものさえないように思えます。天満宮とは距離があり、地味な感じも良い。展示館はいつも閑散としていたが今はにぎやかだという。「梅花の宴」が開かれた旅人の邸宅は、確定はしていない。

 私の散歩コースには万葉歌碑が10か所程度置かれています。ゆっくりとした空間を楽しむ時期にはちょうど良い気候かもしれません。

 

「オピニオン  デスク日記

 春の訪れは、ふるさとの太宰府天満宮(福岡県太宰府市)から届く「飛梅開花」の便りで実感してきたように思う。天満宮近くの祖父宅にも大きな実が付く紅梅があった。普段は静かな印象の古都が、万葉集に残る、「梅花の宴」で詠まれた歌の序文が出典となった新元号「令和」で注目され、なんだか照れくさい。

 改元を前に、昭和50年代、遠足でよく出向いた大宰府政庁跡を訪ねた。宴が催された大伴旅人の邸宅があった場所は諸説あるが、その一つ、政庁跡北西に位置する坂本八幡神社では、氏子たちが急増した参拝客への対応に追われ「うれしい悲鳴です」。クスの若葉が芽吹き始めた境内で、次代に思いをはせた。

 小学校の校歌では「梅の香におうふるさとに ああ 新しい希望-」と声を張った。平成は「戦争のない時代」だった。元号が変わっても、老若男女が希望を抱き続け、和やかに過ごせるよう、この点は継承したい。 (竹森太一)=2019/05/01付 西日本新聞朝刊=」

  

 

 


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