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『十二人の手紙』の中の「第三十番札所善楽寺」が提起したもの~【その2】 [作業所]

 

 

この年になると名前が出てこない人がありました。ただ、アイヌ民族の支援をしている人、俳優であることで検索したら出てきました。有名人はこれで済むけど・・・。

 

前回に続けての話です。

作業所が開始されて1年経過した頃の話です。

 

「これまで一年近く、つばめ共同作業所のスローガンは〈一律平等分配〉でした。そのひと月に上った利益をあくる月の十日に身障者九名、職員二名で平等に分配するという方式をとっていたのです。ところがこのあいだ軽症者が三名、「一律平等分配は不平等だ」と言い出したのです。

「われわれは月に」1人で1万個前後生産している。ところが一方には月に千個もおぼつ かない人たちがいる。これでは働くのがいやになってしまう」これか軽症者たちの主張です。」

それに対して

「重症者たちはこう言って折れたんです。

『たしかにぼくたち重症者は軽症者のみんなの働きにおんぶしていた。世の中のお情けにすがるまいと決心してこの運動に参加したのだが、じつはいままで軽症者のお情けにすがっていたわけだ。これはいけない。これからは能率給にしてください。歩合いでいい。そしてその収入のなかから立林さんや扶美子さんの給料を各自が分担して負担する・・・』」

 

今は職員の給料分は施設に払われる報酬か、自治体の補助金でまかなわれていますが、そういうものがない時代に職員としての参加はよほどの問題意識があったのだと思います。そういう方たちに支えられてきたのも事実だと思う。

作業所の空気は悪化します。

「能率給制をとるようになってから、このつばめ共同作業所はますますうまくいかなくなってしまいました。まず軽症者は昼食の時間も返上し洗濯ばさみつくりに熱中しはじめました。なかには夜なべまでしてすこしでも余計に歩合をもらおうとする人たちが出てきました。こないだまで一日のうちでもっとも楽しかった昼食とそのあと午後1時までの団欒、それもどこかに行ってしまいました。ただもう全員、能率をあげるために作業机にしがみついているばかり。たしかに洗濯ばさみの生産高はふえました。でもそのかわりに氷塊のように冷たい空気が仕事場を支配しだしたんです。そのうちに奇妙なことが起った。重症者の出来高がぐんぐん落ちはじめたのです。「おれたちはだめなんだ。軽症者にはどうせかないっこない」 こういう敗北感が重症者たちに芽生えたんですね。 「もういいや。国から支給される諸手当にすがって生きていこう」 重症者たちは一時間もしないうちに作業をやめて茶の間のテレビの前に引き揚げてきて、だらだら暮すようになってしまった。立林さんもわたしもなんとかしなくては、と思ったんです。でも、二人ともこうなると手が出せない。ただうろうろするばかり。」

 

職員にとってもどう対応するか。それは経験がないだけに苦労がありますが、劇的な展開でここの共同作業所としての解決に動き始めます。今、流行りの「生産性」で考えていけば何かが失われます。皆で乗り切るためには、共同作業所の理念と他の施設の経験に学ぶことだと思います。

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