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社会の病気 [認知症]

 

 

 

「オーストラリアのクリスティーン・ブラ イデンさんやカナダのリン・ジャクソンさんたち海外 の認知症当事者がきて発言し、日本国内でも本人の発言や、活動が広がってきた。

 

クリスティーンは「私たちの能力を信じてください。 認知症は心が空っぽだという偏見によって引き起こされる社会の病気でもある。偏見を取りのぞく闘いで、 みなさんが同志になってください」と訴えた。会場で 取材していた私は、その存在と言葉の深さに胸打たれ

た。「社会の病気」という響きが今も忘れられない。医学的には治せなくても、社会の病気なら私たちの力で何とかよりよくできないか。」(『ルポ 希望の人びと』)

 

社会の理解があればという病気や障害はたくさんあります。多くは「社会の病気」です。障害の名の下に断種が公然と行われました。そして、ハンセン氏病の隔離政策は忌まわしい歴史です。

 

「ハンセン病理由 無人島に遺棄 「ごみ扱い」餓死寸前5/18() ヤフーニュース

 1944年、西太平洋の赤道付近に位置する無人島。日本軍の憲兵が銃を向け、男性(当時24歳)に下船を命じた。「らいがうつるから、人がいる島に近付くな。お前はここで死ぬ。そのことが国のためだ」。従う以外に選択肢はない。男性は国に「破棄」されたのだった。

  国はハンセン病を「国辱病」と宣伝し、「浄化」に取り組んできた。1907年に「ライ予防ニ関スル件」を制定。31年には「癩(らい)予防法」と改めて、患者を死ぬまで強制隔離する政策を推進した。(略)

 一方、無人島に捨てられた男性は数カ月過ごした後、上陸した米軍に保護された。米兵の尋問にハンセン病の英名「レプラ」と一言告げた。「また一人取り残されるのか」。男性は顔を伏せたままだったが、米兵が返した言葉は「Don,t worry(心配するな)」だった。島から沖縄に生還した男性を待っていたのは愛楽園への「隔離」だった。「入所から2週間ほどして、両親が訪れた。私を探してくれてありがたいと思う半面、らいにかかって申し訳ない思いだった」。許しを乞う男性にしがみつき、母は泣いた。

  愛楽園で暮らして70年余が過ぎた。無人島で餓死寸前まで追い込まれた恐怖に、男性は今も体を震わせる。「人でも動物でもあらん。まるでごみ扱い。私はごみのように捨てられたんだよ」 (佐野真慈)琉球新報社」

 

なんということか。法律の名の下に不妊手術を強いる国です。

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