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いい呆け方? [高齢者]

 

 

幼年期にいい母子関係があった人はいい呆け方をするという。(『なぜ、男は老いに弱いのか』三好春樹)。私にはこのことが良く分からない。

 

「幼年期がよかった人、つまりいい母子関係に包まれていた人は、ちゃんといい呆け方ができると思う。だっていくら呆けていて何もわからなくなっても、赤ちゃんのときと同じように母親さえいてくれれば安心していられるからだ。 フロイトは、無意識は胎内と生後二歳までで作られると言っている。いい呆け方をする人は無意識が豊かな人である。胎児と幼児のときに母親への信頼関係があれば、 それは世界への信頼関係になる。なにしろ、胎児と幼児にとっては母親が世界そのものなのだから。世界への信頼のある人は、呆けてここがどこで自分が誰かさえわからなくなっても安心していられる。周りの世界、つまり介護者に頼ればいいからだ。問題はその信頼に応えるだけの技量を、私たちが持っているかどうかだけれど。しかし、こうした世界への信頼のない人は、不安でしょうがない。なにしろここはどこなのか、自分は誰なのかわからず、周りは自分をだましたり傷つけようとしている人たちばかりになってしまうのだから。痴呆性老人の、世界への拒否とも見える自閉的問題行動の根拠はここにある。」

 世界への信頼ないのでいい呆け老人になれそうにないと諦めるのは早い。

 続けて

「過去は変えられる

おいおい、それじゃ今さらどうしょうもないじゃないか、という声が聞こえてきそうである。過去はやり直せないし、母親を選んで生まれてくることもできないか。老いと付き合えるかどうかが少年期と幼年期、さらには胎児期で決まってしまうというのならそれは宿命論と同じではないか、と思われるかもしれない。 確かに宿命としか思えないケースは多い。先に挙げた作家たちもそうである。しかし、異常とさえ思えるような特別な場合を除けば、救いはあると思う。なぜなら、過去とは事実ではなくて記憶だからだ。私たちは事実ではなく、無意識に選んだ事実やときには思い込んだことを過去としてしまい込んでいる。だから過去は変えることができるのだ。 」(同前)

 宿命の例として江藤淳氏のことが挙げられています。

「一九九九年、評論家の江藤淳が自死した。彼は次のような遺書を残した。

〈心身の不自由は進み、病苦は堪え難し。去る六月十日、脳梗塞の発作に遭いし以来 の江藤淳は形骸に過ぎず。自ら処決して形骸を断ずる所以なり。乞う、諸君よ、これを諒とせよ。〉」

 

脳梗塞発症以来、相当の不自由を抱えていたのだろうか。いい呆け方というのも簡単ではなさそうです。

いい呆け方?

 

幼年期にいい母子関係があった人はいい呆け方をするという。(『なぜ、男は老いに弱いのか』三好春樹)。私にはこのことが良く分からない。

 

「幼年期がよかった人、つまりいい母子関係に包まれていた人は、ちゃんといい呆け方ができると思う。だっていくら呆けていて何もわからなくなっても、赤ちゃんのときと同じように母親さえいてくれれば安心していられるからだ。 フロイトは、無意識は胎内と生後二歳までで作られると言っている。いい呆け方をする人は無意識が豊かな人である。胎児と幼児のときに母親への信頼関係があれば、 それは世界への信頼関係になる。なにしろ、胎児と幼児にとっては母親が世界そのものなのだから。世界への信頼のある人は、呆けてここがどこで自分が誰かさえわからなくなっても安心していられる。周りの世界、つまり介護者に頼ればいいからだ。問題はその信頼に応えるだけの技量を、私たちが持っているかどうかだけれど。しかし、こうした世界への信頼のない人は、不安でしょうがない。なにしろここはどこなのか、自分は誰なのかわからず、周りは自分をだましたり傷つけようとしている人たちばかりになってしまうのだから。痴呆性老人の、世界への拒否とも見える自閉的問題行動の根拠はここにある。」

 世界への信頼ないのでいい呆け老人になれそうにないと諦めるのは早い。

 続けて

「過去は変えられる

おいおい、それじゃ今さらどうしょうもないじゃないか、という声が聞こえてきそうである。過去はやり直せないし、母親を選んで生まれてくることもできないか。老いと付き合えるかどうかが少年期と幼年期、さらには胎児期で決まってしまうというのならそれは宿命論と同じではないか、と思われるかもしれない。 確かに宿命としか思えないケースは多い。先に挙げた作家たちもそうである。しかし、異常とさえ思えるような特別な場合を除けば、救いはあると思う。なぜなら、過去とは事実ではなくて記憶だからだ。私たちは事実ではなく、無意識に選んだ事実やときには思い込んだことを過去としてしまい込んでいる。だから過去は変えることができるのだ。 」(同前)

 宿命の例として江藤淳氏のことが挙げられています。

「一九九九年、評論家の江藤淳が自死した。彼は次のような遺書を残した。

〈心身の不自由は進み、病苦は堪え難し。去る六月十日、脳梗塞の発作に遭いし以来 の江藤淳は形骸に過ぎず。自ら処決して形骸を断ずる所以なり。乞う、諸君よ、これを諒とせよ。〉」

 

脳梗塞発症以来、相当の不自由を抱えていたのだろうか。いい呆け方というのも簡単ではなさそうです。

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