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集団就職という時代 [経済]

 

 

朝ドラ「ひよっこ」で再び注目された「集団就職」。その多くが故郷への仕送りをするなど今とは違う貧困の時代を必死で生きてきたのだと思う。朝ドラでも、給料日に「現金書留」で送金する姿がありました。高度成長と合わせて語られるように、働き手を必要とした経済成長を実現した人たちだったと思う。自営業を除けばほとんどがリタイアしていると思われます。「ひよっこ」がその人たちへのオマージュになればと思います。

次のような歴史があったという。

 

集団就職の始まりはすでに戦前の昭和十四年四月八日に秋田県の高等小学校卒業の少年六八七名が就職団列車(後の集団就職列車)で上野駅に向かったという記録がある。銃後の生産拡充のため集団就職することになったのである(山口覚の『集団就職とは何であったか』による)。 戦後で言えば、昭和二十六年三月二十九日に長野県職業安定課と長野鉄道局によって中学卒の女子が就職専用列車で長野から名古屋駅まで乗車した。この列車は「織女星号」(しょくじょせいごう)と呼ばれ、男性 五O名を含む九四八名が乗車した。同じ二十六年三月には鹿児島県出水駅で、普通列車の最後尾の一両を集団就職列車とした。ここらが戦後の集団就職の始まりと明記すべきだが、おそらくこれ以外にも就職列車は走っていた可能性もあり、いつから集団就職が始まったかを定義すること は難しい。

しかし、私は次のように集団就職者をとらえている。一般に集団就職者と言われるのは、日本の高度経済成長を支えた金の卵として呼称されている。集団就職を論じる場合高度経済成長という言葉は不可欠なのである。したがって高度経済成長が始まった昭和三十年前後から原則として地方から集団という形をとって列車や船などの輸送機関によって都会などに就職した少年、少女などの若者たちと定義したい。輸送機関はその他にパス、後には飛行機も見られた。その終わりの時期は、労働省が廃止を決めた昭和五十年代前半と私は考える。厳密に言えば、高度経済成長は昭和四十八年頃に終わっているが、その後も国の取り組みとして集団就職は行われていたからである。」

 

 

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